友人から、名人戦第1局前夜祭の招待状が2枚あるので、一緒に行かないかと誘いがあった。
その友人は、大和証券(名人戦協賛)で株式や債券の取引を相当量行っており、そのような縁で前夜祭の招待状をゲットできたらしい。
とても有り難い話なので、私はその話に乗った。
数年前にNHK杯の観戦記を書いたときにとてもお世話になった三浦弘行八段を心の中で応援したいという気持ちと、東京に長いこと住んでいながら椿山荘へ一度も行ったことがないということが、前夜祭へ行ってみようという思いを後押しした。
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花冷えのする夕方、友人と待ち合わせて椿山荘へ。
神田川の水面の幅の三分の一を、散った桜の花弁が覆っている。
とはいえ、この日が椿山荘の桜が最も美しい日ということだった。
たしかに、午後8時過ぎに見たライトアップされた桜は、良い意味で毒々しいほどに美しかった。
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17:30開場、18:00開宴。
300名を十分に超える参加者数だったと思う。
棋士も、多数参加。
私が見た限りでも、渡辺明竜王、森内俊之九段、久保利明二冠、高橋道雄九段、藤井猛九段、木村一基八段、屋敷伸之九段、行方尚史八段、豊川孝弘七段、田中寅彦九段、島朗九段、中村修九段、阿久津主税七段、飯島栄治六段、片上大輔六段、中田功七段、森けい二九段、大内延介九段、石田和雄九段 田丸昇八段 、滝誠一郎七段 、豊島将之五段 、関根茂九段 、関浩六段 、関根 紀代子女流五段 、谷川治恵女流四段、斎田晴子女流四段 、宇治正子女流三段、早水千紗女流二段 、鈴木環那女流初段、北尾まどか女流初段。
米長邦雄会長、西村一義専務理事、桜井昇常務理事、青野照市常務理事、中川大輔理事、上野裕和理事、淡路仁茂常務理事。
見間違いや漏れは絶対にあると思うので、もっと多くの棋士が来ていたと思う。
司会は長久保智子さん。(会の一番はじめに自己紹介があったので、お名前を正確に覚えていないのだが、90%の確率で間違っていないと思う)
そのあと、朝日新聞、毎日新聞、大和証券キャピタルマーケッツの経営トップ、および米長邦雄会長からのあいさつ。
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経営トップの方々のお話は、それぞれ個性が発揮され、素晴らしいものだった。
特に、大和証券キャピタルマーケッツ吉留真代表取締役社長のスピーチは、視点が面白いと思った。
羽生善治名人と三浦弘行八段のタイトル戦での初めての対戦は1995年6月の棋聖戦。翌年の棋聖戦でも同じ組み合わせだった。
その1年間に、日経平均株価が4割以上、上がっているというのだ。
だから、今回の名人戦も日本経済のためには縁起がいいと。
家へ帰って調べてみた。
1995年は6月19日が棋聖戦第1局。7月8日が最終局の第3局。
この6月は日経平均が14376.08まで下がっていた。
7月初旬に14295.90まで落ちるが、これが結果として、その後数年間の底値。7月高値は17018.35で月末は16677.53。
短期間で恐ろしいほどの上がり方だ。
その後株価は上がり続け、翌年の棋聖戦も羽生善治名人と三浦弘行八段の戦い。ここで三浦八段は羽生七冠の一角を崩すことになるのだが、この年の棋聖戦第1局は6月18日で、6月の高値は22750.70(6/28)。
その後、日経平均銘柄の入替えがあったようで単純に比較はできないが、今に至るまで1996年6月の高値を上回っていない。
さすが、証券会社グループの経営者。
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主賓のあいさつは、川端達夫文部科学大臣
乾杯の音頭は、原口一博総務大臣
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私は飲むとあまり物を食べなくなるほうなのだが、途中過ぎてから、ビーフシチューとローストビーフを食べてみた。(他にも料理は沢山あった)
、、、これが、素晴らしく絶品だった。
ビーフシチューは、コクがありながらライトな味。牛肉に適度な脂身があって絶妙としか言いようがない。
ローストビーフは、もとより私はローストビーフという食べ物を評価していなかったのであるが、このようなジューシーなローストビーフを食べたのは初めてだった。今までとは全然違う。ホースラディッシュ(西洋わさび)も最高だった。
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両対局者からの決意表明がそれぞれ行われた。
今回何より感じたのが、両対局者の背中。
将棋の強そうなオーラが物凄く出ている。
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両対局者には、記念撮影や応援の言葉を贈りたいという方々が絶えなかった。
名人戦第1局前夜祭は、将棋界の年度はじめのお祭りなんだなと感じた。
そして、年度はじめのお祭りにピッタリくるのが椿山荘の雰囲気だと思った。
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鈴木環那女流初段は、春らしい白系の衣装。
私は結構ブラブラと会場を徘徊していたのだが、鈴木環那女流初段はずっと同じ場所にいて、いろいろなファンの方と話をしていた。
鈴木環那女流初段と話をしたいファンの方々が絶えなかったというべきか。
ここまでの人気を持つ女流棋士がいることも素晴らしいことだと思った。