入玉の鬼、間宮久夢斎六段

過去、日本将棋連盟から、除名ではないが退会勧告を受けて、退会した棋士がいる。

その棋士は間宮純一六段。間宮久夢斎と名乗った時期もあった。

以下は、Wikipediaでの記述。

間宮 純一(まみや じゅんいち、1908年8月25日 – 1981年11月16日)は、将棋棋士。六段。溝呂木光治門下。静岡県出身。

マミヤ光機製作所の創業者間宮精一の弟である。1946年、四段で順位戦C級に参加。その後もC級に在籍し続けたが、ついに勝ち越す事はなかった。 「間宮久夢斎」と称していた事もある。放浪の棋士として知られ、また借金の無心を繰り返したため、しまいには日本将棋連盟から退会勧告を受けて1957年に退会。

しかし、間宮久夢斎六段は、非常に個性的な将棋を指すことでも有名だった。

東公平「升田式石田流の時代」より

昔、間宮久夢斎という六段がいた。いまでもこの人にお会いになる方もあると思うが、私のいうのは棋士として健在だったころの間宮さんである。

この先生は玉を三段目に囲うのを常とし、”久夢流”とみずから名付けてエツに入っていた。私は十五年前のある日、町の将棋クラブで角落ちの指導を受け、入玉されて負けた。

「玉のいちばん安全な場所はどこだ?敵の陣地じゃろう。わかるか。そうか、かわいいのウ。弟子にしてやってもいいゾ。ボクは天野宗歩師の直系だよ」

入門はしなかったけれども、忘れられない思い出だ。”久夢流元祖”の名刺ももらった。いまだに入玉の将棋を見ると、間宮さんの酒くさいヒゲヅラを連想する。

どれくらい個性的だったのだろう。

近代将棋1950年6月号、間宮純一六段「久夢流の公開」より。

間宮純一六段(先)-加藤恵三六段戦。

(太字は間宮純一六段の文章)

「間宮さんも普通の将棋を指せば強いんだがなあ」とある八段が私に言った。逆にとれば「変わった将棋を指すから負けるんだ」という事になる。

冗談じゃあない。私の将棋をみんなが変わっているというけれど自分ぢやあ普通のつもりだし、最も合理的な指し方だという信念は今でも変わらないはずです。

(中略)

▲5六歩△3四歩▲7六歩△8八角成▲同銀△5七角

photo (2)

▲5六歩、これは自慢の一手です。というより久夢流の絶対の第一着手。

香落だろうが、角落だろうが、何でも私の第一着手は中央の歩です。

アワよくば中央の位を取ろうというのですが、私のは全部の駒による中央での決戦が狙い。だから端の歩なぞは突いたことがない。中央から王様もろとも敵陣に突入してしまうのです。

玉の位置は4七か6七の三段目が理想的で、入玉には敵陣に近いほど、便利というリクツですね。

美濃囲いとか矢倉囲いを堅陣だと思う人は錯覚で、敵陣ほど、堅固な要塞はない事を知るべきでしょう。

私にいわせると美濃囲いや矢倉は金銀三枚が玉側にくっついて遊び駒になっていると思うんです。

ものすごい理論だが、中央から王様もろとも敵陣に突入する「入玉一直線」であれば、囲いを構成する金銀は入玉に貢献しない遊び駒と間宮久夢斎六段に思われても仕方がないような感じがする。

 

 

加藤六段はいち早く、久夢流をきらって角の交換から△5七角の打ち込み。

弱りましたな。この将棋も私の得意中の得意なんですが、久夢流の公開にはあまり適当でないので困ったのです。

少し指し手を急ぎましょうか。

photo_2

中盤、4七にいた金を5六に上がった局面。△3六歩で困るように見えるが…

久夢流の将棋は立体的なのが特徴。第2図のように中央を制覇すれば十分。ちょうど制空権をにぎったようなものです。▲5六金上と上がった局面では私の方が優勢でしょう。ちょっと見ると△3六歩と桂が危険なようですが久夢流は少しばかり違うのですぞ。

間宮六段は、△3六歩に対して▲4五歩。たしかに手になっている。

以下、△同桂▲同桂△2四馬▲2五歩△同銀▲4四銀△同金▲5五金左△同金▲4四角。

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▲4四銀と捨てて、▲5五金左から強引に金交換に行くと思わせながらの▲4四角。桂を活かした一手。▲3五歩と馬筋を止める含みもあったらしい。

以下、△1二玉▲5五金△6六銀▲同銀△6八金。

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個人的にはとても気持ちの悪い局面。しかし間宮久夢斎六段にとっては玉が三段目に行ける至福の瞬間。

▲5五金はものすごく悪いようですが、いざとなれば3五に何か打って敵馬のききを止められるから安全。

(中略)

△6八金と大事な金を使わせては先手方負けのない棋勢となったようです。

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第4図以下、飛車を打たれて攻められるが、第5図までで間宮久夢斎六段の見事な勝利。入玉できなかったのは残念だったかもしれない。

私の玉が6七に行った時は勝ったと思った。ここが久夢流本然の玉の位置だからです。それからヌラリクラリと玉の行進曲によって敵を次第に消耗させる。

(中略)

この将棋は久夢流の紹介には不適当でしたが私の快心譜として書かずにはおれなかったのです。

今年の間宮を見ておって下さい。優勝でもしたら、今度こそは本当の久夢流の将棋を本誌に発表する事に致しましょう。

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残念ながら、現存する間宮久夢斎六段の棋譜はこの一局のみのようだ。

それにしても、嬉しくなるくらいに個性的だ。

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間宮久夢斎六段の父親は、呉服商であったが発明家でもあり1919年(大正8年)間宮式金庫を発明した。

その長男のマミヤ光機製作所の創業者間宮精一氏と弟の間宮久夢斎六段は9歳違いだった。

(2010.4.29訂正:間宮久夢斎六段は、間宮精一氏の父の養子である徳次郎氏の長男)

間宮精一氏は、二眼レフで世界的に有名だったマミヤを立ち上げる前に、日本金銭登録機株式会社(現日本NCR)を設立している。

「間宮式加減算機」、「間宮式金銭登録機」を発明したのがきっかけだった。

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日本NCRは外資系企業だが、1970年代のコンピュータ黎明期は、コミッションセールスの一騎当千の営業マンがたくさん活躍していた。

先日亡くなった井上ひさしさんの著書に「さそりたち」がある。

この本は、日本WCRという会社の営業チームのオムニバス形式の物語で、非常に面白い。

当時の高価だった会計機というか電算機を、スパイ大作戦並みの珍妙な作戦で売る営業チーム「さそり」。

「餅屋に餅を売る」勢いだ。

ユーモア満点の小説。

さそりたち (文春文庫 い 3-9) さそりたち (文春文庫 い 3-9)
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