森下卓九段の合コン

昨日に引き続き、森下卓九段。

先崎学八段の2001年に刊行されたエッセイ集「フフフの歩」より。

この本には1992年から1998年の出来事が出てくる。

 だが、なんといっても森下卓の真骨頂は礼状にある。

(中略)

 ともあれ、そのぐらい筆まめである。内容は性格通り折り目正しいが、たまに変!なこともある。

 もう五年以上前、僕の友人二人と森下さんで飲んだことがあった。異常にノリの良い女の子がいて、さすがの森下さんもすっかりペースに巻き込まれてしまい、二軒、三軒とはしごになった。

 最後にいった店で、もう帰らなきゃといいながらアニメを歌ったりして、卓ちゃんすっかりいい気持ちである。そのうちに店の女の子も含めてゲームをしようということになった。ちょっと口の大きいグラスにちり紙をのせて、ふちを濡らして周りを切る。そして百円玉を真ん中に置いて、煙草の火で少しずつちり紙に穴を掘って、百円玉を落としたら負けという、まあ飲み屋の座興である。

 森下さんは目を輝かせ「いやあ先崎さんこんな面白いゲームがあるんですか」といいながら、生まれてはじめて煙草を口にして、朝の五時まで飲んだ。森下さんのライフ・スタイルをちょっとでも知る人間にとっては気絶しそうな出来事である。

 さすがに森下さんは反省した。友人に届いた礼状にはこう書いてあったそうである。

”先日は本当にありがとうございます。また宜しくお願いします。ただし、今度からは夜十時までのお付き合いで宜しくお願いします”

 ちょうどその頃、森下さん以下数人で、女子大生と飲んだことがあった。いわゆる合コンである。中の一人が森下さんを気に入ってプレゼントを送った。すぐに森下さんからお礼が来た。やけに平べったく大きな包みだった。おそるおそる開けると、中には色紙が入っていた。堂々とした字でこう書いてあった。

”一歩千金”森下卓

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グラスの口に紙を貼り付けて百円玉を置き、順番にタバコの火で紙に穴を開け、百円玉を落とした人が負け、というゲームは、1980年代頃から六本木のミニクラブなどで行われていたもので、負けた人は水割りをイッキ飲みするのが一般的だった。

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ところで合コン・・・

私が生まれて初めて合コンをやったのは大学3年の時だった。

当時、私は部員3名の、大学の泡沫文科系サークルの会長をやっていた。

ある日、部室で、「○○女子大にウチのクラブと同系統の△△研究部があるけど、そこと合コンができれば最高だね」などと後輩と話をしていた。

すると、翌週、「○○女子大の△△研究部宛、”合コンをやりませんか”という手紙を送っておきました」と後輩が報告してきた。

「えっ、まさか大学の住所にそんな手紙送ったの?」

「はい、それしかないですから」

2週間後、私のところに電話がかかってきた。

「○○女子大△△研究部の部長をやっております□□と申します。お手紙をいただきまして有難うございました。私共と合コンをやりたいというお手紙拝見致しました。つきましては・・・」

なんと、合コンができることになった。

先方からは6人参加という。こちらの部員数よりも多い人数だったので、あと3人は部員以外の人に参加をお願いした。

「どんな人たちが来るんでしょうね」

喫茶店で、後輩が期待に燃えている。

私も、期待に胸は躍る。

そして合コン当日。

場所は、今は無き渋谷のパブパルコビルの5階。

部長の女性は、想像以上の素晴らしさ。

副部長の女性の妖艶さ。

など、事前の期待を上回る陣容。

しかし、先方もこちらも合コン初めての人間ばかりで、ぎこちない会話としばしの沈黙が繰り返される。

初めての合コンは不完全燃焼。今後の課題を数多く残す結果となった。

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その後、大学時代、社会人1年目など、数は少ないが数回合コンに出る機会があった。

そこで感じたことは、私は合コン向きの人間ではないということ。

ざわめく店の中、初対面の大人数の飲み会に居心地の良さを感じなかった。

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後年になって知ることだが、会議などの最も適正な人数は理論的に6人という。

これは、合コンや飲み会にも適用できることだろう。

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最後の合コンというか飲み会は、スチュワーデス軍団だった。

いい大人になっていたので、誰かいい人を見つけようとか煩悩は起きず、純粋に飲み会を楽しむといった趣きで楽しかった。

そういうことを思い出す度に、中原誠十六世名人の揮毫「無心」が、将棋以外の世界でも重要だと思い知らされる。