Number最新号に藤井猛九段のインタビューが掲載されている。
特集が、”非エリートの思考法。~乱世を生き抜く力をつけろ!~”で、サッカー界、野球界などのプレイヤーとともに藤井九段の名前が並んでいる。→目次
タイトルは、将棋界孤高の革命家 藤井猛 「常識を打破して頂点に立った男」 。
非常に興味深い内容で、藤井ファンは必見の記事。
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今日は、Numberの記事と一緒に読むと良いような、1999年の藤井猛竜王誕生時のインタビューから。
将棋世界1999年1月号、「藤井猛新竜王に聞く」より。
(4連勝で谷川浩司竜王を破り、新竜王に)
-竜王位奪取おめでとうございます。1日たって感想はいかがですか?
藤井 とりあえず終わってほっとしています。昨夜は3時くらいまで飲んでいてあまり寝てないんです(笑)あまりにうまく行きすぎたと思います。そんなに簡単なものではないと思っていました。勝てるとは予想していませんでしたから。自分の力以上のものが出せました。内容に満足しています。
(中略)
-昔は実戦よりも一人で研究する方が好きだったそうですが。
藤井 アマチュアの頃は近所に指す人があまりいなかったということもありますが、積極的に相手を求めてあちこち行くというタイプじゃないですから(笑)。近所にいないなら、まあいいかというか。指すより将棋の本を見て研究したり、テレビで将棋番組見たりする方が好きでした。本は振り飛車のものが中心でしたね。大山十五世名人の書かれた本とか、振り飛車党の人が書いた定跡書や実戦集、雑誌とかが好きでよく読んでいました。
-将棋を覚えたきっかけは小学4年の時、クラスの友達からということですが、強くなっていったきっかけというのは。
藤井 まず友達に負けるのがいやだからなんですが、ちょっと勉強すると学校ではすぐ一番になりますね。その延長で勝つと面白いじゃないですか。それで好きになっちゃったんですよ。やっぱり好きでやっているとすぐに強くなるんですよね。6年くらいからまじめにやるようになって中学2年で三段くらいまでいきました。それで研修会に入りました。その頃は真田さんや木村さん、鈴木さん、行方さんがいましたね。
-あまり実戦をこなすタイプではなかったそうですが、研修会に入ってみていかがでしたか。
藤井 すぐに将棋がいやになりましたね(笑)。普通は入会したての時は相手のレベルに合わなくてまず負けますよね。最初は東京の人達に勝てなかった。大抵は半年くらい負けっぱなしなんですよ。そうすると今まで将棋は楽しいなあってやっていたのが、負けるたびにつまんなくなっていくんですよ(笑)。だから将棋は好きなんだけどしばらくは勝負に対していやになりましたね。勝負が好きじゃないんですね、慣れるまでが。でも負けず嫌いなところもありますから、その落差が大きいけれども、勝つと楽しいし段々上っていきました。
-藤井システムの成り立ちは。
藤井 3年前ですから六段の頃ですが、対居飛車穴熊の将棋が多かったんです。対穴熊もいいんですが、毎回指しているといやになっていくんですよ。将棋を指すとまず相手が穴熊でやってくる、そうするとストレスがたまると。10局に1局くらいならいいんですが、10局のうち5局も対穴熊をやっているとさすがにストレスがたまるので、囲わせない指し方はないかと、そういう発想ですからね。穴熊対策が中心だったわけです。また他の方も穴熊攻略でいろいろやられたので、それも参考にしていました。しかし、形も大分変わってきましたね。当時の方が普通でした。今はメチャクチャですから(笑)。攻める展開が多くなりました。まあ基本的には攻めるのが好きですから。での振り飛車戦法というのは受けの将棋なわけで、そこが私の攻めの棋風と矛盾していますが。
-自分の将棋は変わってきましたか。
藤井 自分なりの指し方をするようになってきたと思います。自分で考えた手をやるようになりました。
-藤井さんの同世代には早くから活躍してきた人が多いですが、そういう人達を見ていてどう思っていましたか。
藤井 例えば羽生さんとはあまりに差があって、雲の上の人という感じで焦りとか悔しいという気持ちはなかったです。
-一番魅力を感じる棋士は。
藤井 昔からやはり大山十五世名人ですね。ずっと憧れていました。
-ご自分の性格はどう思いますか。
藤井 よく分からないですね。考えたことがないです。のんびりやですね。
(以下略)
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藤井九段が奨励会に6級で入った時、同じ歳の羽生二冠は四段、森内名人と先崎八段は三段、郷田九段と丸山九段は初段だった。
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