1990年王将戦第7局の打ち上げ

1990年王将戦第7局、南芳一王将-米長邦雄九段戦での出来事。

1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」より。

 三月の末、羽生と僕が、三日間一緒にスケジュールが空いた。僕はともかくとして、超多忙な彼にとっては非常に珍しいことであり、なんでも地方の仕事がキャンセルになったらしく、こんなことはめったにない。そこで、どこかに旅行に行こうか、という話になった。

 当たり前のことだけど、旅行をするためには行き先を決めなければいけない。

「北海道にしようか、福岡にしようか」

「ラーメンは、どっちがおいしいと思う?」

「そうだ-、博多ならば、中田(功四段)のところに行けば、うまい鰻が食えるぞ」

「先チャンは、札幌か博多じゃなくて、すすきのか中洲かでしょ」

「そうねえ。札幌に競輪場はないからなあ」

 などと、口が先に動くといった感じでおしゃべりをしているうちに、ふと明日から王将戦の第七局が行われることを思い出した。

「そうだ--旅行がてらに王将戦でも見に行こうか?」

 というと、二つ返事で、

「いいですねえ--」

 とのこと。かくなるうえは衆議一決。あとは行動に移すのみである。

 かくして僕らは、つぎの日、十一時十分発山形行の飛行機に乗り込んだ。行く先が土地カンのある天童なので、行きやすいことも、思いついた理由の一つだった。

 今回の七番勝負のハイライトは、わが師匠である米長先生が、五局目と七局目に角換わり将棋を連採したことであろう。あそらく、この将棋はほとんど経験がないはずで、よほどの研究の裏付けがあったのだろうと推察する。

 それに比べ南さんは、明らかに意表をつかれた感じであった。南さんは、棋界でも有数の研究家であるが、今回の七番勝負の間は忙しすぎて、あまり研究できなかったのではないか。はっきりいって第七局の作戦はマズかった。

 それと、注目すべきことは、米長先生のほうは、角換わりを避けられたときの対策なども、研究してあったことで(これは事実である)、いわば、この作戦は用意周到に選び抜かれた作戦だったのである。

(中略・・・米長九段が圧勝して王将位を奪取する)

 終わったあとの打ち上げでは、みんな荒れた。南さんもけっこう飲んでいた。南さんは日ごろはあまりお酒は飲まないのだが、じつはけっこう強いのである。

 米長先生は、ガキ大将が喧嘩に勝ったあとのような顔をして、大声をあげ、跳ね回っていた。こういうときには弟子も喜ばなければイケナイ。仕方ないから、僕も大声をあげ、騒いだ。

 そのうちに舞台に上って、イチモツを公開するといいだした。これは、喜怒哀楽が激しいときにでる発作みたいなもので、ようするにそうとうに嬉しい証拠である。それだけならよいのだが、僕にも一緒にやれという。ああ、弟子とは辛いものなのデス。僕は、コップ酒を三杯あおると、ノロノロと立ち上がった。そのあとのことはよく憶えていない。僕は、その夜二次会で荒れたらしい。

—–

将棋マガジン1990年6月号、米長邦雄王将の自戦記「望外の王将位奪回」より。

 今回は6年ぶりの王将位獲得ということでとても嬉しい。

 対局後の打ち上げでは、喜びのあまり、30人程を前に裸踊りなどを披露してしまった。

 弟子の先崎も「ご唱和いたします」と言って、舞台の上で師弟そろって裸になったのだが、これは某写真週刊誌に掲載された。

 どうも私は嬉しくなると、裸を見せる奇癖があるようだ。

 対局が終わるとかくの如くであるが、今回のシリーズは全七局を通じて、勝負に勝つというよりは一局一局を勉強させてもらうという気持ちが強かった。

—–

私も、温泉地の旅館で和服のコンパニオンの女性と野球拳をやって敗れ、一糸まとわぬ姿になったことが何度かあるが、裸踊りがどういうものかは想像がつかない。

ちなみに、私が生まれて初めて野球拳をやることとなったのは24歳の時で、場所は神奈川県の鶴巻温泉だった。「陣屋」のごく近所の旅館である。

和服姿と小物で重装備のコンパニオンの女性と浴衣の男性との野球拳は、勝負の前から勝ち負けが決まっているようなもので、ジャンケンの勝率が5割だったとしても、4~5回負けてしまえば男性側は脱ぐものがなくなってしまう。

最後の一枚を脱いでしまう時の心の葛藤は大きかったが、意を決して脱いでみると、新しい自分になれたような感じがした。水に潜るのを怖がっていた子供が水に潜った瞬間のような微妙な開放感に似ているかもしれない。

—–

宴会脱衣ゲームとして知られる野球拳だが、本来は愛媛県松山市の伝統的な踊りで、服は脱がない。松山まつりでは野球拳大会も開かれている。

本家野球拳

野球の「「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」などの用語を日本で初めて「打者」「走者」「四球」「直球」と訳したのは、愛媛県出身の正岡子規であるが、愛媛県と野球は面白い形で繋がっていると言える。

コメントを残す