1987年、羽生善治四段にとっての初めての棋戦優勝

近代将棋1997年6月号付録、「初めての棋戦優勝シリーズ 羽生善治四段初優勝編」、鈴木宏彦さんの1987年の第10回若獅子戦決勝(羽生善治四段-井上慶太五段戦)の観戦記「超新星に初栄冠!」より。

 羽生善治。昭和四十五年九月二十七日生まれ、十七歳。ご存知、天才少年・羽生である。

 棋士になってまだわずかに一年九ヵ月。なのにこの少年、もう将棋界のど真ん中にどっかりあぐらをかいて座っている。別に態度が大きいわけじゃない。だけど、存在がすでにでかいのだ。

「現在最強は羽生」なんて言う人がいる。そこまでは言わないが「今すぐタイトル戦に出してみたい」とは私も思う。羽生を特別扱いするつもりはないのだが公式戦・非公式戦、A級棋士やタイトルホルダーに対してものすごい勢いで勝ちまくる羽生の成績を見ていたら、どうしてもそう期待しちゃうのである。甲子園の高校野球で何度もパーフェクトゲームを達成するようなピッチャーが出てきたらプロの一流バッターと真剣勝負させてみたいと思うのは当然だろう。

 出るクイは打たれる。存在が大きくなるとそれに対する反動もまた出てくる。若手棋士の多くは羽生の名前に反発を感じ、対羽生戦には目の色を変えてくる。上位棋士も羽生に対する警戒を強めている。谷川王位は何はなくとも羽生の棋譜だけは必ず並べると明言しているくらいだ。(その谷川も羽生には二連敗!)

 だが、反動が強ければ強いほど羽生はますます成長し、脚光も浴びることになるだろう。スターと役満は無理に作ろうと思うと大変だが、条件がうまくそろった時には自然にできちゃうものなのである。

 そんな羽生だから「この対局に初優勝がかかっている」と聞いた時には「思わず「えっ、まだ優勝してなかったっけ」と聞き返してしまった。考えてみれば、まだ十七歳(この対局の日は十六歳)考えてみれば一年と九ヵ月。それにしても羽生が若獅子戦初参加とは、読者の皆さんも何か不思議に思われないだろうか。

(中略)

井上慶太。昭和三十九年一月十七日生まれ、二十三歳。棋士になって四年と七ヵ月。棋士になりたてのころは、かわいい容姿とつき合いのいい性格から関西のアイドル的存在だったが、六十年に新人王戦、六十一年には若獅子戦と二年連続の優勝を果たし、一躍関西若手実力派の中心にのし上がってきた。

 表面的性格は温厚、そして弱気。この日も顔を合わせるなり「最近なんもいいことありませんわ。ハーッ」と、こうきちゃう。が、内面的には明るく攻撃的な面も持っていて、少し酔った時など女性に対し特にそれが出るらしい。棋風は”しのぎの井上”で、終盤のしぶとさを売り物にしているのだから、本質的には負けず嫌いで執念深いところを持っているのだろう。

 神戸の須磨の田舎に家族と一緒に住んでいたが、最近西宮にマンションを借り一人暮らしを始めた。「ひょっとして身を固める準備?」と聞けば「結婚は考えてないけど、恋人はものすご、ほしい。今、片思い中なんですわ」という返事。

 井上慶太五段の近くにいる女性の方、もしこの文章が目に止まったら、彼の愛に気づいてやって下さい!

(中略)

 ▲4一銀から羽生の寄せが始まった。さすがの井上でも、もうしのぎはない。

(中略)

 この対局から三週間後、二人に電話を入れてみた。二連勝していた羽生はその後五連勝を加え七連勝中(まったくよく勝つ男だ)。井上は順位戦で櫛田に負けたり、もう一つ元気がない。

羽生「対局ラッシュが終わってホッとしているところです。今は暇ができるのが一番嬉しい。若獅子戦の優勝? こんなに早く優勝できると思ってなかったから本当に嬉しい。賞金の使い道? まあ貯金かな。次の目標はとにかく昇級」

 井上「あれ以来、すっかりすさんだ生活してますわ。酒を友として、哀愁の井上で行ってます。次の目標? そんなもんないわ。いや、ちゃうな。竜王戦、これが望みの綱やな。それと羽生先生ともう一度対戦すること・・・ああ冴えん」

 記念すべき第10回若獅子戦で見事に初優勝を飾った羽生。これから何十回優勝を重ねようと、そのスタートはこの若獅子戦である。

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若獅子戦は、1977年から1991年まで近代将棋社主催で行われていた、若手棋士(年齢の若い順の13人による)の公式棋戦。

本局が、タイトル獲得80期、優勝38回という羽生二冠の、初の優勝の時だった。

将棋は、相掛かり模様から羽生四段のひねり飛車石田流の形になって、129手で羽生四段が制した。

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井上慶太九段が結婚したのは、この5年後の1992年。

観戦記の、「井上慶太五段の近くにいる女性の方、もしこの文章が目に止まったら、彼の愛に気づいてやって下さい!」の効果が あったのかどうかは興味深いところだ。