佐藤康光八段(当時)「横で対局していた羽生さんも噴き出していました」

将棋世界1998年8月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。

6月18日(木)

 佐藤康光新名人が誕生した。翌朝、野口君に打ちあけたこぼれ話が楽しい。

 実は12日の竜王戦で将棋を指すようになってから初めてという大ポカをやってしまった。その局面のまま将棋は夕休へ。鍋焼きウドンを注文して桂の間で食べようと思っていた佐藤さんは、ハッと大ポカに気づいてしまう。桂の間にいくのが恥ずかしい。そう思った彼は食事を放棄し東京体育館のあたりをウロウロと散歩することにしたというのだ。感想戦ではあの高橋九段も思わず笑ってしまったという。「横で対局していた羽生さんも噴き出していました。そのあとまったく表情を変えずに平静だった南さんに羽生さんは逆転負け。南さんはさすがです。羽生さんに悪いことをしました。将棋を覚えた人なら誰でも分かりそうな手なんですよ。それで、よく指してるなあと思って、自分でも感心していたんですけど」。というわけで、実は名人戦第7局がちゃんとした将棋を指せるかどうか一抹の不安があったという。

 しかし、終わってみれば素晴らしい激闘を制し、フルセットの末の名人奪取となった。桂の間で食べられることのなかった鍋焼きも、納得していることだろう。

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佐藤康光名人(当時)が言う”将棋を指すようになってから初めてという大ポカ”は、第11期竜王ランキング戦1組3位決定戦、高橋道雄九段-佐藤康光八段戦で指された一手。

将棋世界同じ号の勝又清和四段(当時)の「第11期竜王戦」より。

佐藤ポカ1

 7三の銀をつまんで8四に打ち下ろしたその駒音は高かった。▲8四同馬なら△7六角▲6七金△同角成▲同玉に、△8四飛と馬を抜いて良しが読み筋だ。

…おかしい。こう指したらどうするのか。だがこの男が指した手だ、何かあるはず。手堅く休憩後に指そう。

…休憩の時気づいた。しまった!ひどい。ああ終わりだ。

 次の一手は▲6四桂!で、投了。あまりのポカに隣で対局していた羽生も噴き出したそうだ。緻密流も人間だったと、皆安心していたが、やはりすごい男だったと再認識したのは一週間後。

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この3位決定戦で勝てば決勝トーナメントに進むことができるという大一番。

1図の局面での夕食休憩。

佐藤康光八段(当時)が桂の間で鍋焼きうどんを食べるのを放棄して、東京体育館の近辺を歩きまわった気持ちがとてもよくわかる。

一人、黄昏れてみたくなることはあるものだ。

レストランなどに入って食事をしたりする手もあったわけだが、とてもそのような気持ちにもなれなかったのだろう。

1998年6月12日(金) の東京の天気は気象庁のデータによると曇り、夕食休憩の頃の気温は21.0度、湿度72%、日没時刻は18時59分。

やや湿度は高いが、歩くにはちょうど良い気候・時間帯だったかもしれない。

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隣で行われていた羽生善治四冠-南芳一九段戦は竜王戦ランキング戦1組決勝戦。二人とも決勝トーナメントに進むのは既に決まっていたが、1組優勝と賞金360万円が懸かった勝負。

この年に竜王挑戦を決めたのは藤井猛七段(当時)だった。