藤沢桓夫さんの『将棋百話』(1974年)より。
西本馨四段は関西所属の中年棋士である。現在舞鶴で道場を開いているが、大阪生れ。性格は本来は明るく、洒脱な一面もあり、昼間の誰もいない銭湯で好きな浪曲をうなっている時が一番よい気分と、むかし私に語ったこともある。
西本君は気の毒な人だ。大阪の商家に育ち、納家投手などのいた戦前の黄金時代の浪商の野球部員となったが、バッティング投手をしている時に打球が眼に当り、そのため失明に近い人となってしまった。木見門に入って棋士となってからも、眼の不自由さが大きなマイナスとなって今日に到っている。
根が明るい人であるだけに、素人相手の稽古将棋などでも、西本君はしばしば観戦者たちを笑わせることがある。十年余り前のことだが、彼はかなり強いアマと飛落ちを指している途中で、巧く相手を王手飛車の局面に誘導した。相手はまだ王手飛車に気づいていない様子だ。西本君は当然「王手!」と角を打った。敵の王様は横へ逃げた。そこで、西本君は当然角で敵飛を取るものと思って見ていると、以外や西本君は飛を取らずに、駒台から香車を取り上げて敵玉の頭上に「王手!」と打ちつけた。同玉と取る一手。それを見とどけてから、西本君は右手を伸ばして飛を取り角を成った。「王手飛車なら、さっさと飛車を取ったらええのに」と相手が口惜しがると、その時の西本君の言い草が良かった。「そうかって、あんた、すぐに飛車を取ったら”待った”しはりますやろ。これが”待った”をされん王手飛車の掛け方ですわ。あははは」
戦時中、西本四段は、堺の金岡の陸軍病院へ慰問に行き、腕自慢の傷病兵と、自分は手ぬぐいで目隠しして、大駒落ち将棋を指し、この時も彼は相手に王手飛車を掛けた。しかも、相手は王手に気づかず、飛車の方を逃げた。「王様頂戴してもよろしおますか」と、西本君がわざととぼけた表情で言ったので、大勢の観戦者たちは明るく大哄笑したそうである。
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昭和20年~30年代の昔は、将棋上達法の一番最初に「待ったをしないこと」と書かれるほど、”待った”が多かったようだ。
「王手飛車をかけた時、飛車を取る前に別の手を指す」、現場感覚に満ち溢れた見事なノウハウだ。
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西本馨七段は2012年に亡くなられている。
享年88歳だった。