森信雄六段(当時)「南口先生の想い出」

将棋世界1984年7月号、森信雄四段(当時)の「棋士近況」より。

 私はここ数年、春先になるとなぜか体調を崩していました。今年は特に注意して”疲れたら休む”ことを心がけています。

 ところが、私の師匠の南口先生が、突然3月18日に脳内出血で倒れられました。私も同席していたのでショックでしたが、今は回復されていますのでホッとしています。

 しかし、以前私が体をこわした時、

「体だけは大事にしろよ」

 そう言って励ましていただいた灘先生が亡くなられました。

 謹んで御冥福を御祈りします。

(5月12日)

——–

将棋世界1995年12月号、森信雄六段(当時)の追悼文「南口先生の想い出」より。

将棋世界同じ号より。

 今から11年前の昭和59年3月、京都のアマ王将戦の開会式の途中で、挨拶を終えた直後に南口先生が椅子からくずれるように倒れました。脳内出血で意識不明。

 その日のことは一生忘れません。それから、長い長い入院生活となりました。

「森君、御苦労さん、この間の将棋はどうだった?」

「はい、負けました」

 開会式直前の壇上での短い会話でしたが、その後、後遺症で言葉を話せない南口先生の、最後の会話となりました。

 毎年、正月に私の弟子を連れて、御見舞にうかがっていましたが、顔をみるなり涙をポロポロ流されるので、いたたまれない思いでした。

 しっかりとつかまれる腕の力が強いのにも、驚きでした。

 私は南口先生の晩年の弟子だったせいか、一度も叱られたことがありません。

 むしろ、心配ばかりかけたようです。

 将棋をやめようと、自分なりに身辺整理して、先生のお宅にうかがったことが、今まで三度ありました。

 一度目は奨励会の年齢制限に引っかかったとき、21歳でした。

「もうちょっと頑張ってみたらどうや。幹事に頼んでみるから」

当時は奨励会員も少なく、時代もあったのか、おおらかでした。

 二度目は関西本部の塾生をしているときで、このときは心身ともにボロボロ。

「やめてもいいけど、もうちょっと辛抱しいや、なぁ森」

 今思うと、ちょっとしたことで運命が変わっていたかもしれないことに、南口先生への恩義を感じます。

 三度目は棋士になってからのことで、ある出来事で1週間くらい眠れず、悩んだ挙句、知らず知らず京都の南口先生宅に足が向いていました。

「お前の気持ちも判るけど、ここは、わしの言うことを聞いてくれ、なっ森」

 恰幅がよくて、お酒が好きで、ファンの方にとても好かれて、親分肌の雰囲気がありました。

 お酒ならではの失敗談や、当時は知らなかった南口先生の素顔を、最近になって聞くこともありますが、私にとってはある意味で父親のような存在でした。

 弟子の立場から、弟子を持つ立場になって、よけいに有り難さを感じます。

 私の兄弟子に、加藤一二三九段、滝誠一郎七段、中尾修六段がいますが、それらの方よりも短くて、どちらかと言うと出来の悪い弟子ですが、私の方が一方的に南口先生に頼っていった気がします。

 亡くなられた9月20日から三日後、葬儀の日の9月23日も、奇しくも京都職団戦で、やっぱり南口先生は将棋と縁が深くて、好きだったんだなぁと思います。

 思えば、大阪天満橋にあった南口教室で、飛車香落ちで指導していただいたのが、初めての出会いでした。

 それから教室に通い始め、何となくなりゆきで弟子にしていただき、23年になります。長いようで短い日々です。

 棋士になってから、先生も少し気弱になられた時期のようで、私にポツリポツリ本音の話をしていただくようになったと思います。

 長い長い入院生活は、先生も御家族もつらかったと思います。何かお役に立ちたいと、いつも思っていたのですが…

 ゆっくり、安らかにお眠り下さい。

 御恩は決して忘れません。

 心から、御冥福を御祈りします。

——–

南口繁一九段 享年77歳。

読んでいて、とても心が温まる。

「三度目は棋士になってからのことで、ある出来事で1週間くらい眠れず、悩んだ挙句、知らず知らず京都の南口先生宅に足が向いていました」の”ある出来事”は、村山聖少年の奨励会入会にクレームがついた件だと思われる。

『聖の青春』には、森信雄四段(当時)が八方手を尽くしたものの状況は非常に厳しく、最後は南口八段(当時)に来期に禍根を残さぬよう調停をお願いしたことが書かれている。

本当に森信雄七段から見れば父親のような存在だったのだろう。

——–

「やめてもいいけど、もうちょっと辛抱しいや、なぁ森」

「お前の気持ちも判るけど、ここは、わしの言うことを聞いてくれ、なっ森」

私も森なので、人ごととは思えない言葉だ。

「なぁ(苗字)」、「なっ(苗字)」を最後につけると、インパクトが非常に増すことが実感できる。

——–

師匠のお墓参り(森信雄の日々あれこれ日記)