将棋や将棋界とゴジラの関わり

映画『シン・ゴジラ』が大人気だ。

私も金曜日に観に行ったばかり。

ちょうど良い機会なので、将棋界とゴジラの関わりについて何かあるか調べてみようと思った。

すると、、、一つだけあった。というか、昔のこのブログの記事だ。

これは、真部一男八段(当時)が1998年に将棋ペンクラブ大賞一般部門大賞を受賞した際に若手棋士が中心となって開かれた「真部八段を祝う会」でのこと。真部九段の妹さん(土佐浩司七段夫人)が次のように話した。

「今はやさしくなりましたが、私の幼いころ、兄は、いちばん偉いのは男で、次がゴジラ、次は女だ、と苛めました」

故・真部一男九段「いちばん偉いのは男で、次がゴジラ、次は女だ」

ところが、私がうっかり忘れていたことがあったことに気付いた。

真部九段の妹さんからコメントをいただいていたのだ。

真部の妹
随分昔のお話ですね。本当に懐かしいです。
少し訂正させていただきたいのですが…
真部流によれば、男の次に偉いのは「ゴジラ」じゃなくて「ゴリラ」です。
河口先生がちょっと聞き間違われたんですね。
つまり女は類人猿よりも下等だと言うわけでいじめられておりました。

そう、ゴジラではなくゴリラだったのだ。

これで、将棋や将棋界とゴジラの関わりは皆無である可能性が非常に高くなってしまった。

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『シン・ゴジラ』の感想を簡単に書いてみたい。(ネタバレがたくさんあるので、ネタバレが嫌な方は読まないほうが良いです)

結論から言うと、100点満点で序盤95点、中盤95点、終盤80点で総合A、とにかく凄い迫力だった。

出だしから緊張感があるのがいい。

また、ゴジラの第二形態と第三形態が、気持ち悪いというか少し可愛いというか、とても微妙な気持ちにさせられる外見。かなり微妙な気持ちになる。目が大きいのが困る。でも気持ち悪い。

そして、これは個人的なことになるが、ゴジラが第三形態になる場所が私が勤めていたビルの横。2階にある寿司屋の屋号も見えている。これは興奮した。ゴジラは体調が変化したか、ここで一帯のビルは壊さずに海の方へ向かう。

昔の特撮とは違って、実写の建物にCGのゴジラを合体させているので、臨場感と迫力がケタ違い。

ゴジラが第四形態となって鎌倉に現れてからは圧巻の迫力。

ゴジラに恐怖感を覚えたのは生まれて始めてのことだ。

自衛隊の攻撃も迫力満点。ヘリコプターから放たれる銃弾やミサイルが軌跡を描いてゴジラの顔に向かうシーン(予告編でも流されていた)は感動的な凝り方だと思う。

そもそも、自衛隊の攻撃で怪獣は倒れることはないし、特に子供時代は怪獣を応援していたから怪獣に頑張ってほしいと思って見ていたものだが、今回はとにかく自衛隊を応援していた。

それほど怖いゴジラであったということで、このような気持ちになるのは、子供時代に『サンダ対ガイラ』を見て以来だった。(ガイラは人を食う恐ろしい存在で、これに対し、自衛隊がメーサー殺獣光線で攻撃してかなりのダメージを与えていた。この時は自衛隊を応援していた)

もう一つ、大きく感動したのが、ゴジラが吐き出す光線。

なんだ、汚いな、ゴジラが嘔吐して大量の吐瀉物が地面に…と思ったら、放射能光線のような物が出ておびただしい火炎が出て最後はレーザー光線のようなものになって、都心を焼き尽くす。

これ以上のド迫力はあるだろうかというような光線。

しかし、これでエネルギーが切れたのか、ゴジラは東京駅近辺で動かなくなる。

ここからゴジラ退治作戦が実行されるわけだが、やはりゴジラは動いたままでいてほしかった。

この部分が相対的に終盤点数が下がった大きな要因。動きっぱなしのゴジラを退治するのは大変なので、このような展開にせざるを得なかったのは十分に理解できるのだが。

政府はよく頑張ったと思う。

真田丸の片桐且元役の小林隆さん演じる自衛隊幹部が個人的に特に良かった。

ネットなどで大人気の尾頭ヒロミ(市川実日子さん)は、個人的にはかなり苦手なタイプ。

このような映画によく見られる、「人間が描けていない」という評価だが、それは怪獣映画なのだから全くの的外れとしか言いようがないと思う。

『ジュラシック・パーク』の時も「人間が描けていない」という評論家がいたが、何を言っているんだろうと呆れたことがある。

このような映画はジェットコースターに乗るのと同じようなものなのだから、余計な要素は入れずに鋭く狭い主題を貫き通すのが本筋。

考えられないほど暑い日、とにかくかき氷を食べたいという時、かき氷の上に高乳脂肪のバニラアイスが乗っていたとしたら、それは邪魔な存在でしかない。氷だけしか食べたくないのだから。

様々な感想を見ていると、現代の日本に対するアンチテーゼ、ゴジラは原発を象徴している、などいろいろと何かに結びつけて考えているようなケースも見受けられるが、それぞれどう思おうが人の勝手。

私は全くそのようなことは感じず、純粋に楽しんだ。

私はゴジラは好きだが、ゴジラ映画をリアルタイムで見たのは4歳の時と小学校1年の時の2回だけ。ゴジラに対する思い入れは決して強いわけではない。

それでも、昔のゴジラ映画の複数の音楽が流れるエンドロールを見ながら、昔のゴジラを懐かしく感じつつも、「シン・ゴジラの”シン”は新だなあ」とつくづく思った。

今までのゴジラでは興行的に手詰まり。今回のゴジラは昔の姿から完全に脱皮した新しい姿。

そういう意味でも、今回の作品はゴジラに新しい命を与えたエポックメーキング的なものであったと思う。