大山康晴十五世名人「内藤さんは、ウチの有吉よりだいぶ弱いんじゃないの」

将棋世界1982年2月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。

 いつも見る光景の一つ。これは中原-大山の4局目、ポートピアを記念して神戸市の「ポートピアホテル」で行われた対局の昼下がりだ。立会人はA級棋士の豪華コンビ地元の内藤國雄九段と森安秀光八段だった。―大山は例によって振り飛車。いつもと同じ進行だ。対局開始の写真を撮るなど、一応の儀式が終わると、みなは「はじまっちまえば、こっちのもんだ」などと、対局者には決して聞かせられない言葉を吐いて”盤”を囲む。

「夕刊の解説は11時すぎやな。それなら一局いこ!」そういいながら内藤が上座に座ったのは、碁盤の前だった。森安は「立合料のほかに、お稽古料もいただけるんですか?」とへらず口をたたいて、下座に席をとる。この下座にもちょっと意味がある。

 「初段は難しいのでは?」と記者たちに囲碁の腕前を評価されている二人だけに打つ手は早い。だが内藤は「これでも目碁でっせ!」などと澄ましたものだ。それでも周りの雑音は消えるどころか、ますます激しくなる。内藤と仲のいい神戸新聞の中平記者が「内藤さんの手つきだけはプロ級や」といえば、森安が「手つきだけはね」とダメを押す。すると内藤、とぼけた調子で「なんや、秀光君は黒やないか!」とやり返すと「でも、ワタシャシュウコウ(秀行)、藤沢棋聖と同じ名や」と激しいやりとり。なんとも品格のない光景だ。

 そこへ、対局中のはずの大山が現れた。この人は、相手が長考に入ると頭を休めるためにときどき控え室に姿を見せるので油断がならない。

 「へえー、珍しい組み合わせだねえ。あれっ内藤さんが白なの?」

 こういわれて、森安はキッとなった。「いや」といって、口に出してはいけないことをばらしてしまった。

 「いや、じつは内藤先生が二目置いているんですわ。白を持っとるけど、ほんとうは私が上手なんですよ。それも二目ですよ」

 「えっ」と大山は首を傾げる。

 「でも、右上と左下の白石は、星に置いてないじゃないの」―二目の置き碁なら、こうなっているはず、と大山は見抜いたのだ。

 内藤は知らん顔して白石を打ちおろし、「これでどうや、あんたは弱いんやから、ごちゃごちゃいうな」とやったものだから、また森安はカッとなった。もう兄弟子もなにもない。みんなバラしてやるゾ。

 「いえね、見てる人たちにわかると、内藤先生に気の毒なので、二目は左上と右下に置いたんですわ。―子の気持ち親知らずですわ。これでは……」

 これを聞いて大山「なるほどね、そうだろうと思った。内藤さんが急に強くなるはずがない」ときびしく決めつけ、さらに「内藤さんは、ウチの(弟子の)有吉よりだいぶ弱いんじゃないの」と、またダメを詰めたので、こんどは内藤がムッとした。

 なにしろ、有吉-内藤は関西の宿命のライバル。将棋以外、あらゆることで激しく張り合っているのは読者の方々もご承知だろう。

 大山のことばを聞いた途端、内藤は間髪を入れずにいい放ったものだ。

 「でも、有吉さんはタケフを切られたことがあるんですよね!」

(以下略)

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将棋では感情を表に出さない冷静な棋士たちが、囲碁の対局では勝負師の本能のおもむくまま、思ったことをすぐに口に出しているのが面白い。

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それに輪をかけて、大山康晴十五世名人の中長期的な視点に立った盤外戦術が可笑しい。

「内藤さんは、ウチの(弟子の)有吉よりだいぶ弱いんじゃないの」などは、芸術的としか言いようがない言葉だ。

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目碁もタケフも囲碁用語。

目碁は賭け碁のことで、勝敗以外に整地する時の地合いの目数で動く金額が変わってくる。

タケフ(竹節)は二丁ツギのことで、普通にやっていれば切られることはまずないというようなもの。

この当時はお互いに口をきくこともなかった内藤國雄九段と有吉道夫九段。

タケフを切られたことがある、という非常に些細なことまで知っている内藤九段も可笑しい。