将棋世界2001年3月号、山田史生さんの巻頭随筆「心臓が破れそう」より。
20世紀最後の大勝負、藤井竜王対羽生五冠の竜王戦七番勝負。この観戦記を書くために第1局(上海)、第6局(山形県天童市)、第7局(神奈川県秦野市)を現地で見た。フリーライターの身で三局も観戦できたとは幸いなことであった。
将棋対局の紹介方法といえば、これまでは新聞、雑誌に書かれる観戦記がほとんど唯一のものであったが、このところ観戦スタイルも様変わりしてきている。
一部の棋戦だけながら、NHKテレビ(BS)ではかなり長時間、対局を生中継しているし、今回の竜王戦ではインターネットによる速報もなされた。一手一手、即座に指し手が分かり、簡単な解説も付けられる。第7局では述べ12万人ものアクセスがあった。自分の意見や希望を書きこむこともでき、その参加者は1,300人いたそうである。
(中略)
第7局終了の翌日、自宅が同方面の藤井竜王と車に同乗した。「奥さんはずっとBSで見てたんでしょう」と聞くと「はい。終わってから電話したら”(見ていて)心臓が破れるかと思った”と言っていました」と話してくれた。
第7局の終盤、私はずっと対局室の中にいた。控え室のプロの意見は聞いていないので、二人の顔つき、態度からしか形勢判断ができない。羽生は低い姿勢で鋭く目を光らせているのに対し、藤井は「ふぃー」「はー」とあえぐような息をしながら苦慮している。私はてっきり逆転して羽生が優勢になったのではないかと思って見ていた。
中立の立場の私でさえ胸がドキドキするような際どい終盤。まして妻であれば、あえぎながら懸命に最大の強敵に立ち向かっている夫の姿を見ていると”心臓が破れそう”というのは真実の気持ちだろう。こぶしを握りしめ、必死の思いでテレビを凝視している、そんな妻の様子を想像するだけで目が潤んでしまうのは、私が年をとったせいだろうか。
もちろん羽生の家族も同様の思いであったろう。奥さんが見ていたことは間違いなく、ご両親も「毎局必ずBSで見ています」と直接聞いたことがある。
かつては家で、ただ結果を待っていればいいだけだった勝負師の妻や家族も、今は夫と同じ苦労を共に味わなければならなくなった。大変な時代になったものである。
しかし、会社でつらい思いをしながら頑張っているサラリーマンは数多いが、それを直接見ることのない家族は、そのつらさをほとんど分かっていない。給料を運んでくる(それさえも振込だが)マシーンぐらいにしか思っていないのではないか。
仕事ぶりを直接見てもらえ、勝負に勝つ大変さを家族に分かってもらっている藤井や羽生は幸せというべきだろう。
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1990年代前半のこと。
知人(厳密には知人の友人)がNHKで行われていた新人歌謡コンテストに出場したことがあった。
彼女は昭和50年代洋楽のライブハウスのハウスバンドでボーカルを務めてたのだが、ライブハウスが閉まってバントも解散して、一人新たな道へ挑戦しようとしていたのだ。
元・バンドリーダーからは、コンテストの日にNHKホールへ応援に行こうと誘われていたのだが、私はその日は人に言えないような用事があって行くことができない。
当日、用事が意外と早く終わって、家に戻ってきたのが20時頃。
お、まだ間に合うと思い、テレビをつけて間もなく、彼女が歌う番となった。
かなりドキドキしたが、歌い始めると、思っていたよりも素晴らしく、鳥肌が立つほどだった。
一次予選での結果は見事に通過。この時点で「オーッ」と一人でテレビを見ているのに声が出ている。
そして最終予選。やはり彼女が歌っている時には鳥肌。
グランプリはプロの歌手だった。
彼女はアマチュア部門で優勝で、実質的には2位。
ビックリしたし驚いた。私は画面に対して声を出して声援を送っていた。
今すぐお祝いに駆けつけたいと思ったが、携帯電話のない時代・・・
感情が大きく揺れ動く1時間だった。
知人の友人に対してさえこうなのだから、夫や家族なら、もっともっと凄いことになる。
「(見ていて)心臓が破れるかと思った」という藤井猛竜王(当時)の奥様の言葉は、大袈裟でもなんでもなく、むしろ控えめに語られているのではないかと思うほどだ。