小池重明アマ名人(当時)と七條兼三さん

近代将棋1982年4月号、小池重明アマ名人(当時)の連載エッセイ「将棋と酒」より。

 いやあー、寒い寒い、だての薄着で気取っていたら人並みに風邪をひいてしまった。今も鼻水を流しながらこの原稿を書いている。若い女性ファンには見せられない姿である。(女性ファンなんていたかな?)先日も何軒かはしごをしているうちにコートを忘れてきてしまった。どこで飲んだか覚えていないので取りに行きようがない。まったくだらしのない話である。春が待ち遠しい。そんなこの頃である。

 元旦に米長九段との角落ちが放映されてから何人の人にいわれたろうか。「惜しかったねえあの将棋」私は傷ついた狼のようにじっと傷をいやそうとしているのに……そしてダメ押し、A図で▲2七同歩としないで▲7四歩と金を取っていれば勝ちじゃないの?何人かで調べたがその通り、傷口が又開いた感じ。大体負けた将棋はあまりふれたくない。

 私も皆さんといっしょ人の子であります。将棋では狼の子を目指しているのですが……

 そうです、こんなことを何故書いたのか。勘の良い読者はもうおわかりと思いますが、米長九段との角落ちが又行われたのです。そして結果は、このはしゃぎようでおわかりでしょう。本誌7月号に載る予定ですからお楽しみに(本人だけが楽しみにしている感じ)

(中略)

 前に書いたことがあるが、日暮里将棋センターでの研究会(アマ強豪、他)で初めて優勝、10ヵ月目にして……うれしかったですなあー、喜んでいたら次の月には正棋会で1勝3敗、ひょっとするとB級に陥落かも、どうなってんだろうね、まったく……将棋しか能のない私がこんなことでは、能というよりNoというべきか、ぼちぼちお酒が脳にまわってきたかも。

 酒といえば詰将棋作家でもあるラジオ会館の七條兼三氏がまたすごい。最近は弱くなったよといいながらそれでも毎日一升ちかく飲んでいるという。氏は将棋が七段、碁七段その他書道、詩吟、柔道、水泳とスーパーマンみたいな人である。毎週月曜日には碁の梶原九段、将棋では藤代五段が参加し指導にあたっている。本誌連載中の米長九段に大駒で挑戦もここで行われている。将棋界にとって最大の良き理解者であろう。今までに二~三度、氏と二日がかりで避けを飲んだことがあるが、いつも先にまいるのは私のほうである。三日いたら殺されてしまいそうである。私も酒には自身のあるほうである。

 某月某日、ラジオ会館にて。

 午後1時頃、まずはビールを何本か持ってくる。そして旨いつまみも、何だかんだ話をしているうちに、このつまみはお酒によくあいそうだ、なんていいながらこんどは一升徳久利に入った原酒を持ってくる。原酒というのは口あたりがよく飲みやすい。そして6時頃一升徳久利が横になってしまう。これでおわりかと思うと、どっか飲みに行くか、なんていっている。そして2~3軒まわった後、氏の自宅へ(なぜか上野公園の中にあるのです)。もう夜中の3時である。ああそれなのにまた私の好物であるお酒がでてくるのであります。そして4時頃やっと床へ、朝10時頃目をさまし朝食をよばれ再びラジオ会館へ。つくそうそうまたビールが、そして昨日と違うところは、そうですこの日はビールの後にこんどは梅酒が……、6時頃まで飲んでいたらまた恐ろしい言葉が聞こえてきました。

 小池君どっか飲みに行くか……その日は逃げるようにして私が帰ったことは皆様おわかりでしょう。帰ってから3日間ほど体が変調になりました。4日目にはまた七條氏のところにおじゃましていました。こらあやっぱり長生きできそうもないや。

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独特な味がある小池重明さんのエッセイ。

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七條兼三さんは将棋界の大旦那だった豪快な人物。

秋葉原ラジオ会館の創業者で、自宅は上野公園の中にあった。

小池重明さんがプロ入り志願した時の推薦人の一人にもなっている。

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酒飲みは梅酒や甘酒などは飲まないものと思っていたのだが、どうもそうでもないようだ。

あるいは七條家の梅酒は特別な製法だったのか。

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将棋界の大旦那「七條兼三」(1)

将棋界の大旦那「七條兼三」(2)

将棋界の大旦那「七條兼三」(3)

将棋界の大旦那「七條兼三」(4)

将棋界の大旦那「七條兼三」(5)

将棋界の大旦那「七條兼三」(6)

将棋界の大旦那「七條兼三」(最終回)

七條兼三物語(前編)

七條兼三物語(中編)

七條兼三物語(後編)

 

「小池重明アマ名人(当時)と七條兼三さん」への1件のフィードバック

  1. 1990年頃の週刊将棋(控えていなかったので正確な時期が分かりません)での湯川博士さんが書いた七條兼三さんの記事で、趣味のひとつに「自家製果実酒薬酒製造」があったと書かれていました。
    趣味とあるからには、凝っていて特別な製法であったと思います。

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