原田泰夫八段(当時)「だが、自己嫌悪に陥るほど終盤が弱い。プロには弱い、連敗。人生の一区切りの時節になった」

近代将棋1982年4月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。

関西将棋会館

 2月1日、小林六段と昇降戦があり、正月末日大阪へ。新しい関西将棋会館に二泊、大変いい気分であった。京都、大阪の講演旅行の折には時間がなく、今回が初めてであった。千駄ヶ谷本部で数日前に花村さん(九段)に行き方を教わった。「新大阪から電車でもいいが、車をおごればいいでしょう」車はいつでも利用できるので環状線で福島駅へ。なるほど、駅から歩いて2分、分りやすい。五階建て、レンガ色の堂々たるビル、土地購入費と建設費を合わせて約7億円、改めてご賛助いただいた皆様に感謝した。

 大山会長、有吉、板谷両理事はじめ関西在住棋士の努力とご苦労を感謝した。会員の一人として建設基金、募金運動に積極的に協力すべきだが、今回は自然流の少額で勘弁願った。

 有力ファンに何回お願いしたことか、少額でも人様の尊いお金を頂戴することはやさしいことではない。四の橋の若松寺から中野昭和通りの照国道場を購入の時、千駄ヶ谷の土地購入、はじめて和風建築の時、東京会館再建の時「一生一度のこと、本部にご寄附を、これも”界・道・盟”のためですから―」同じことを同じ方に何回も何回もお願いするのは、いかに心臓が強くても気がひける。

 東京で関西のことを、大阪で東京のことを各界にお願いすることは大仕事、少々体験したので奮闘した皆さんのご苦労がよく分る。何もしない人がアラを探して文句を言う傾向がある。立派に完成したことを喜んだ。

 二階の将棋クラブは大入り満員「珍らしいね、原田八段だ、いつも和服だ」「勝負師には見えない、宗匠か、坊さんだね」とかなんとか、皆さんはパチパチ指しまくっていた。

 当日は日曜なので特別に入場者が多かったのか、道場は成功だ。もっとも現在、千円以下で一日楽しめる席がほかにあるだろうか。「免状、認定状獲得戦」のり張り紙、会館完成記念、毎月第3日曜、5戦全勝または4勝1敗2回の成績で免状(有段者)4勝1
以上で認定状(級位者)無料贈呈。

 参加費(受験料)級位:千円。初・弐段:2千円。参・四段:3千円。五段:4千円。

 正式な初段免状料は1万8千円なので、右は本部がファンに感謝した大サービスである。三階の宿泊室はホテルなみ、新しいので気分がよかった。翌日は五階で対局した。

「江戸城本丸黒書院」ここで先般、二上棋聖-加藤十段の棋聖戦が行なわれた。内藤九段-酒井四段と小林六段-原田戦。千駄ヶ谷の特別対局室より、関西の「黒書院」が遙かに上等だ。「ここを借りると一日10万円だそうですよ」と内藤さん。予算のある各界将棋部は話しのタネに黒書院で将棋会を開催していただきたい。東京でも大阪でも近代的なビルができて結構だが、人件費、維持費が多くなる。建物を活用、普及面に力を入れて増収をはからなければならない。

(中略)

 大駒指導は20代、30代時代より現在がうまくなった。だが、自己嫌悪に陥るほど終盤が弱い。プロには弱い、連敗。人生の一区切りの時節になった。

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花村元司九段の「車をおごればいいでしょう」という言葉が粋な感じがする。

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「何もしない人がアラを探して文句を言う傾向がある」

これは本当だと思う。

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昭和60年代まで東京と大阪の連盟道場で「免状、認定状獲得戦」が行われていた。

5戦全勝または4勝1敗2回で免状が無料。3勝2敗なら通常の免状料。

私が生まれて初めて連盟道場へ行ったのも、初段の免状獲得戦にチャレンジしようと思ったから。

非常にモチベーションの上がる企画だった。

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「だが、自己嫌悪に陥るほど終盤が弱い。プロには弱い、連敗。人生の一区切りの時節になった」

順位戦ラス前の頃。

原田泰夫八段(当時)が引退をほのめかした瞬間だ。