「これまで大山は常に7割か8割の世論を敵に回して戦ってきた。敵というのは適切でないが、応援する者がすくなかったのである」

将棋マガジン1986年1月号、川口篤さん(河口俊彦六段・当時)の「対局日誌」より。

 感想戦は観戦記用だから最初から順を追って行く。私には序盤中盤など興味がないから、その部分の感想を述べている間は席を外すことにしている。

(中略)

 ころあいを見計らって第二対局室へ行くと、ちょうど14図あたりの、核心の部分になっていた。

 優勢の将棋を負けたということもある。しかしそれにしても大山に繰り言が多いように感じられた。大山という人は、負けてもふてぶてしく構えているのだが、この日はそうでなかった。なんとなく人に同情をうながすような気配があった。

 なぜちがうのだろう、私は盤面のことよりそちらの方を考えていた。

 これまで大山は常に7割か8割の世論を敵に回して戦ってきた。敵というのは適切でないが、応援する者がすくなかったのである。対升田、対中原の名人戦がそのよい例である。ところが、この対森戦だけは、8割が味方であった。62歳、大病の後の挑戦者であれば、これは奇跡である。それを願ってみんな大山に声援を送ったのだった。

 大山コールは、かえってマイナスになったようである。大山は逆境にあって本領を発揮するのだ。大山将棋は、まさに大山の人間性をそのまま表しているのである。

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あまりにも強すぎる期間が長いと、世論は”判官贔屓の反対”になって応援しなくなる傾向がある。

相撲などはそのような傾向が強い。

中原誠十六世名人は応援する人が多かったが、大山康晴十五世名人ほど独走期間は長くない。

そのような意味では、大山十五世名人よりも長い期間トップを走り続けてきている羽生善治九段を応援する人が昔から多いというのは、非常に素晴らしいこと、快挙だと思う。