東公平さんの「名人は幻を見た」、1971年A級順位戦、原田泰夫八段(先)-升田幸三九段戦、「原田泰夫の気骨」より。
この将棋は、原田八段の三間飛車と升田九段の左美濃で、升田九段の圧勝に終わるが、素晴らしい観戦記になっている。
特に最後の一節は、私が大好きな雰囲気。
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原田の▲7六歩に対して升田は無造作に飛先の歩を突き出した。「今期は居飛車で」と決定しているのだろうか。
「もう少し石田流をやってください」とリクエストしたいファンも多いと思うが、一方「升田の振飛車破り」を見たいと、待ちうけておられた方も少なくないはず。いずれにせよ第一着手から「見せる」将棋を指す。升田将棋の魅力の第一は、全局を一貫する”構想”の雄大さにある。
(中略)
思い出されるのは、八段当時の升田が、木村名人に快勝した一局である。中飛車で二枚銀を繰り出す「木村不敗の陣」といわれた形に向って升田が、左美濃から△3三角-△5一角-△8四角と角を右翼に大きくさばく作戦を展開した。今考えれば「時代の転換」であったのだ。その一局をさかいに棋界全体が「玉の堅い将棋」を再認識しはじめ、結果として、今日の矢倉、振飛車時代がおとずれたと信じたいほど、私には印象深い。
原田は、反対に”流れにさからう”将棋を指して来た。腰掛銀が流行すれば「私は位取りで行く」と宣言して、どんどん5筋の歩を突く将棋を指した。みながそろそろ飽きて来たころに「転向する」といって腰掛銀を使い、振飛車が流行し始めれば「振飛車破り」一辺倒。そして一昨年からは振飛車党に入党して、何でもかんでも振るのである。だが、形は何であってもよいのだろう。不断の研究課題を持つこと、それ自体が、A級復帰という快挙の原動力になったのだと思う。
(中略)
△3五角はごく平凡な「飛車取り」である。ところがここで、原田は次の手をうかつに指せなくなってしまったのだった。予想していたよりも、はるかに奥深い、ふくみのある角出だったのである。次の一手は二時間の長考になった。
(中略)
つらい▲4八角引き。かさにかかる升田は△7五歩と打つ。▲同角と取って歩切れにしてみても何のきき目もないのだからつらい。▲6六飛とかくれたあとへ、大手を振って△7九角成り。
「フー。どうにも指しようがなかったね、さっき……」
原田が私にそういった。返事のしようはない。
私は数分後にそっと手帳に書いた。<原田のぼやきは升田将棋の本質を表現している>
(中略)
「まいったな」
原田がいった。
「ひでえ将棋を指した。秀ノ山か……」苦しい冗談だった。放っておくと角桂飛銀、順番に取られてしまう。めずらしい形ではある。
何か返しワザがありそうで、実はどうしようもなかった。
(中略)
「負けました。こう、ノータイムで指されては……」
ハッハッハッと原田は笑った。そして私に「この所、まずい将棋ばかりで読者に申し訳ない。そう書いてください」といった。
花村八段が観戦に来ており、投了と同時に原田をかばっていろいろ意見をのべはじめた。「なに?そんな手があるもんか!」ごきげんのヒゲ九段は花村を相手どって感想戦をはじめ、読みの深さを披露し、花村が「診察おわり」といって退散しようとすると「ボウズに診察されて、たまるか」とからかって一同を爆笑させた。