村山聖八段(当時)「山崎君はA級八段になれる男です」

今日は、竜王戦第4局の解説の山崎隆之八段の新四段の頃の話。

1999年に刊行された別冊宝島「将棋これも一局 読本」、故・池崎和記さんの「故村山聖九段も才能を見抜いていた最年少棋士、山崎隆之」より。

―谷川浩司14歳、羽生善治15歳。

 プロ棋士(四段)になったときの年齢である。棋界のスーパースターが、そろって中学生でプロデビューを果たしているのは、決して偶然ではないだろう。はるか昔には加藤一二三が谷川と同じ14歳で四段になっている。

 「天才」と呼ばれるだけのことはあって、谷川は21歳で名人になり、羽生は19歳で竜王になった。また加藤は18歳でA級八段になり、20歳で名人戦の挑戦者になっている。この3人は別格としても、10代半ばでプロ棋士になれるというのは、やはり才能が図抜けているということだろう。

 16歳で四段になったのは森内俊之と屋敷伸之。17歳で四段となると人数が急に多くなるが、それでも中村修、南芳一、塚田泰明、森下卓、阿部隆、村山聖(故人)、佐藤康光、先崎学、久保利明、山崎隆之と11人しかいない。

 このうち佐藤は名人で、中村、南、塚田、屋敷は元タイトルホルダー、また森下、阿部、森内、先崎は棋戦優勝の経験がある。

勝率6割5分でも不満足

 山崎は平成10年の4月に四段になった。会社でいえば新入社員みたいなものだから、将来性については未知数だが、若いし、男前だし、また根性があって性格もいいから(なんだか結婚披露宴の新郎紹介みたいになってきたな)、周囲の期待も大きい。

 デビュー戦は神吉宏充六段との棋聖戦だった。このとき神吉は10分遅刻してきて、そのせいかどうか、山崎は対局が始まってから30秒くらい、神吉の胸元をにらみつけていた。あとでだれかが「神吉さんのネクタイは派手だから」と笑っていたが、ネクタイに見とれていたわけじゃないだろう。この青年、なかなかやるわい、と私は思ったものだ。

 全日本プロで谷川竜王(当時)と対戦したときは、竜王の前でペットボトルのお茶をラッパ飲みしていた。ふだんは満点をつけたいくらいの好青年なのに、盤の前ではふてぶてしい(そう見える)。大物である。

 ところでデビュー1年目の成績だが、平成11年2月4日現在、17勝9敗(勝率6割5分4厘)である。新四段としてはまあまあだが、本人は納得していない。「6割5分では話にならない、もっと勝たないと普通じゃないです」と言う。

 「これぐらいの頑張りじゃダメだろうと思っていたら、やっぱりダメでした」とも。自分では精一杯頑張ってやったつもりだった。それでも「この程度しか勝てなかった」から、「ダメだ」というのだ。

 目標をかなり高いところに置いているのがわかる。それなら山崎が「ダメだ」というのも当然だ。新四段の成績にはだれもが注目している。ならば、期待にこたえて(山崎が言うように)もっと勝つのが「普通」で、実際、少し上の先輩棋士たちはデビュー当時、それだけの成績を残している。

 たとえば羽生は40勝14敗(7割4分1厘=1986年度)、村山は12勝1敗(9割2分3厘=同)、森内は24勝8敗(7割5分=1987年度)、佐藤康光は37勝11敗(7割7分1厘=同)である。

 もっとも谷川は22勝13敗(6割2分9厘=1977年度)だったから、山崎もそんなに悲観することはないけれど。

 「もっと本気になって頑張らないといけないですね。自分の力がどれくらいあるのか、僕はそれを知りたい」と言う。この気概と心構えがあれば大丈夫だ。プロ2年目の今期の活躍に期待しよう。

故村山九段に似てきた!

 将棋は5歳で覚えた。父親が家で詰将棋をやっているのを見て、一緒に遊び出したのがきっかけという。関西奨励会に入ったのは小学6年のとき。師匠は森信雄六段で、平成10年8月に29歳の若さで急逝した村山聖九段(山崎と同じ広島県出身)は同門の兄弟子である。

 その村山は生前、周囲に、「山崎君はA級八段になれる男です」と語っていた。身びいきで言ったのではない。その証拠に、山崎本人には、「弱いね。こんな将棋を指すようじゃ山崎君も終わりだな」と、まったく逆のことを言ってハッパをかけていたのだから。

 山崎がプロ棋士として第一歩を踏み出したとき、村山は病気休場していたから、二人は公式戦で戦ったことはない。山崎によると、10秒将棋(練習将棋)で数局教えてもらっただけだという。なのに村山は山崎の才能を見抜いていたのだ。

 一流棋士の見立てに、まず狂いはない。だとしたら山崎は、兄弟子の期待にこたえなければいけない。

 山崎は今、兵庫県伊丹市でひとり暮らしをしている。奨励会時代は関西将棋会館にもめったに顔を見せなかったが、最近は毎日のように控え室にやってきて、若手棋士や奨励会員たちと練習将棋を指している。

 そんな山崎を見ていると、だんだん村山さんに似てきたな、と思う。

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山崎隆之八段と故・村山聖九段が同時に出てくるエピソードは意外と少ない。

そういう意味でも、この池崎さんの記事は非常に貴重なものだと思う。

タイプは異なるが、村山九段から山崎八段が受け継いだ何かがあることがわかる。

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山崎隆之四段(当時)のデビュー戦については、神吉宏充六段(当時)も書いている。

山崎隆之七段のデビュー戦

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池崎さんの記事の後、18歳未満で四段になった棋士は9人。(抜けがあったら申し訳ありません)

渡辺明竜王が15歳、豊島将之七段が16歳、佐々木勇気四段が16歳、阿部光瑠四段が16歳、阿久津主税七段が17歳、糸谷哲郎六段が17歳、中村太地六段が17歳、永瀬拓矢六段が17歳、澤田真吾五段が17歳。

1999年、10代半ばで四段になった棋士は、山崎八段も含め、タイトルあるいは優勝を全員が経験している。

21世紀、今後、どのような歴史が作られていくのか楽しみだ。