行方尚史七段(当時)「これで負けりゃ、こっちも淋しくなるな」

将棋世界2005年1月号、河口俊彦七段の「新・対局日誌」より。

 5日の早朝5時、金星と木星の大接近を見た。巨大な二つの星が、指ではさめるくらいに近づいていたのは壮観で、徹夜して粘った甲斐があった。

 そして順位戦の取材も、徹夜の後できつかったが、おもしろい戦いが盛り沢山で、疲れを忘れた。

 B級1組順位戦は、ますます混迷の度を深めている。ただ、降級争いの方はやや意外で、島八段と堀口(一)七段の不振はどうしたことだろう。

 その堀口七段は行方七段と対戦。行方七段もパッとしないから、ここは両者負けられぬ一戦だ。

 戦型は、角換わり腰掛銀の基本型。だからというわけか、進行が早く、昼休みには、行方七段が▲4五歩と戦端を開いていた。そこまでの消費時間は、行方の遅刻分を差し引いた正味は、行方19分、堀口は8分。こういうのも気合い指しというべきか。

 この日は椿事ばかりでなく、珍形もいろいろあった。

 まずは、特別対局室での、青野九段対中川七段戦。

 1図は、▲5六金と金取りに角を打ったのに対し、4二の玉が△3三玉と上がったところ。力強いがいかにも危ない。

中川青野1

 しかし、△3三金と引くのでは、▲2七銀から▲2六銀で、3五の歩を取られてしまう。だから玉で受けたのだが、中川七段は平然としていた。

 1図からは、▲2七銀△3二銀▲2六銀△4四歩▲3四角△同玉▲4六金という進行。このまま最後までつづけたくなる手順である。早くも面くらう局面だが、これはこれで互角であろう。

 次は大広間の中村八段対北浜七段戦。

 2図は▲2四歩と突いたのに対し3二の金が、△3三金と上がった局面。これも見たことがない指し方である。普通は、▲2四歩を△同歩と応じ、▲同角△同角▲同飛△2三銀▲2八飛△2四歩となる。

 局後、中村八段に聞くと、「谷川さんの将棋で見たような気がして」と首をヒネった。

北浜中村1

 2図からは、▲2三歩成△同銀▲2五歩△3二銀、という進行。それから駒のくり替えが延々とつづき、3図のようになった。

北浜中村2

 中村陣は、この異形を見よ、といいたいところである。銀矢倉の金銀がさかさまになっている。形勢はいずれともいえないが、すくなくとも、後手を持ちたい、という人はいないだろう。

 さすがに午後になると長考が多くなったが、それでも進行が早く、夕食休みのころは、4図となっていた。どちらがよいのか私にはわからなかったが、いずれにせよ、優劣がついているだろうと思った。

行方堀口1

 そこで控え室の面々に形勢を聞くと、まだわからない、と言う。そして驚いたことに、ここまでは、今春の王将戦第6局と同じなのだった。

 6六に角がいて、△5四桂と打たれ、▲8四角と打たれたところ。このとき控え室はどよめいたそうである。

 4図で羽生対森内戦は△3二銀だったが、堀口七段は大長考して手を変えた。

4図以下の指し手
△4五馬▲2三銀△3四馬▲同銀成△3九飛▲6九歩

(中略)

 4図の△4五馬はよくなかった。形から見て、後手が勝つなら、△8四同飛と取るしかない形である。そして、そう指せば後手有望だった。

 4図から△8四同飛▲4三銀△3二銀▲4二銀成△同玉▲4三金△同銀▲同歩成△同玉▲4四金△5二玉▲3三飛成と、ここまでは一本道。

 つづいて△6六桂が強手で、▲5三竜△6一玉▲6二銀△7二玉▲6四桂△8一玉▲7三竜△6四馬▲8四竜△8三銀打まで、後手玉は詰まないから、こうなれば後手勝勢だ。

 控え室でさんざん研究された手順で、当然局後の感想戦でもテーマになった。堀口、行方両君とも、▲3三飛成で先手よし、と見ていたようだが、最後まで残って観戦していた松尾五段が、△6四馬と桂をはずす手を言うと、両君、アッと言った。

 以前、森内、深浦の意見は耳を傾けなければならぬ、と書いたことがある。松尾君も同じで、寡黙な人が物を言うときは、確信があるからである。いま言った変化も恐らく正しいだろう。

 さて実戦は、金をペタペタ打たれて堀口君はうんざりしたらしい。感想戦で手順を進めながら、「こんな将棋を指して……淋しいな」としきりに言った。

 そうだろう、人真似をしてやられたんじゃ情けなくなる。私だって淋しい。いやファンだって淋しいだろう。もう同一手順の将棋はやめた方がいい。腰掛銀は、同一局面になりがちだが、それを指すなら、必勝の手順を用意しているときに限ってもらいたい。

(中略)

行方堀口2

 金4枚が並んだ先手陣は、卒塔婆が横倒しになったみたいだ。勝つにはこういう形がいいんだな、と見ていると、堀口七段は、呪われたように自滅した。

 6図から△8七歩▲同銀△8八歩▲同玉△とやらずもがなの手を指し、加えて△4六桂と跳んだものだから、▲2七馬と馬を抜かれてしまった。この後2手指して堀口七段投了。

 感想戦が終わりそうになったころ、6図ではせめて△4五馬と引くのだった、と堀口七段が言った。やってみると、▲8五歩△同飛▲6三馬△7四歩で、後手優勢になる。

「なんだ、大山先生なら△4五馬以外は指さないよね」堀口君が頭をかかえると、「これで負けりゃ、こっちも淋しくなるな」行方君も下を向いた。

(以下略)

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同じ日に現れた珍しい雰囲気の対局3局。すべて金がからんでいる。

青野-中川戦は青野照市九段が、北浜-中村戦は中村修八段(当時)が勝っている。

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4図は83手まで進んだ局面で、ここまで同一局面の王将戦第6局(羽生-森内戦)では先手の羽生善治王将(当時)が勝っている。

後手番がどこかで手を変えなければならなかった行方-堀口(一)戦、結果的には4図からの△4五馬が決定打にならなかったため、後手が敗れた形となる。

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3図の後手陣、金と銀が逆になったような形はとても珍しい。

6図の先手陣の金が横に4枚並んだ形も、なかなか見ることはできない。