将棋世界2005年6月号、渡辺明竜王の第23回朝日オープン将棋選手権五番勝負展望「渡辺竜王が見た羽生-山崎戦」より。
朝日オープン五番勝負の展望を書かせていただくことになった。展望を書くのは初めてなので至らない点も多いと思うがお付き合い願いたい。3月号で棋士の本音が出ていないと言った以上、本音で書かせていただく。
ご承知の通り今期の朝日オープン選手権五番勝負は山崎隆之六段が挑戦権を獲得した。
両者の最近の調子や戦型の傾向などは後回しにして、まずは五番勝負の一つのテーマでもある「世代戦について」。
「世代戦」という文字が紙面を賑わすようになったのは第51期王座戦(羽生-渡辺戦)からで昨年の竜王戦に続いて朝日オープンでも世代戦が実現した。
「羽生世代」が定着しているのに対して「渡辺世代」「山崎世代」という言葉は未だにない。私と山崎六段は3歳離れているのだがまとめて「新世代」という言葉が使われているようだ。
「羽生世代」の強さは言うまでもないが、その影響力はその前後の年齢の棋士にまで及ぶ。羽生世代に年齢が近い世代の棋士は羽生世代を意識し切磋琢磨し現在の地位を築いたのだ。
B級以上の30歳~40歳前後の棋士を「上位棋士世代」と仮定して「新世代」と比較してみたい。
先月号の「新・対局日誌スペシャル」に「B級以上に20代棋士は久保八段、北浜七段と二人しかいない。それも29歳だから、今年中に20代棋士はいなくなる」とある。新世代にとっては深刻な状況だ。河口先生は「10代棋士の基礎体力の強化が、将棋界の課題であろう。中終盤の力が徐々に落ちている」と結んでいるが全く持ってその通りである。なぜ基礎体力に差が出たのか。それは勉強方法の違いにあると私は考えている。
上位棋士世代が10代の頃は終盤戦まで定跡化されている将棋などなく、序盤の研究はほとんど行われていなかった。
という内容の記述をゆく目にする。おそらく基礎体力を身に付ける勉強方法が主流だったと推測出来る。
新世代が10代の頃、すなわち現在は
8五飛戦法やゴキゲン中飛車の超急戦を筆頭に終盤戦まで定跡化されている将棋が多く、それらの「研究」が盛んに行われている。
最低限(最低限のラインには個人差はあるが)の研究は必要だが現在は偏り過ぎているような気がする。
「基礎体力」は生きた実戦で汗をかいて考えてこそ身に付くものであって、研究で身に付くものではないと私は考えている。
基礎体力を身に付ける→研究
という正しい手順が8五飛戦法などの出現によって手順前後してしまったのだ。「将棋そのものの力」はどんな戦型になっても役に立つが「研究」は他の戦型になったら全く役に立たない。
以上、私が考える新世代が羽生世代に押されている理由である。あくまでも私個人の考えなのでこれが正しいかどうかはわからない。
(つづく)
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「新世代」は、この頃だけ使われていた言葉なのだろう。
この10年、深浦康市九段、久保利明九段、広瀬章人八段、糸谷哲郎八段がタイトルを保持した期間もあったが、大局的には羽生世代と渡辺明竜王がタイトルを占めている。
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1965年以降のB級2組以上の20代棋士は次の通り。(順位戦データベースのデータを集計)
今回の記事の2005年前後が、本当に少なかった時期であることが分かる。
1965年7人
1970年5人
1975年8人
1980年4人
1985年8人
1990年9人
1991年9人
1992年8人 55年組と羽生世代の入れ替わり
1993年7人
1994年5人
1995年7人
1996年8人
1997年9人
1998年10人
1999年10人
2000年5人 羽生世代30代に
2001年5人
2002年6人
2003年4人
2004年2人
2005年0人
2006年2人 渡辺明竜王と山崎隆之六段
2007年4人
2008年5人
2009年4人
2010年4人
2011年5人
2012年5人
2013年7人
2014年6人
2015年8人
2016年8人
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1995年に郷田真隆五段(当時)が「研究というのは自分にとっては靴なんです」と語っている。
防弾チョッキや防毒マスクほどの防御機能はないけれど、道端に落ちている鋭利な石やガラス片などから足を守る靴。
やはり基礎体力(自分の体)があった上での研究(靴)というニュアンスなのだと思う。
→郷田真隆五段(当時)「研究というのは自分にとっては靴なんです」、先崎学六段(当時)「そうか、それなら俺は裸足のアベベになってやる」