将棋世界2005年3月号、飯塚祐紀六段(当時)の「矢倉で強くなろう」より。
新人だった頃のお話です。
その朝、デビューからまだ日の浅い私は、大ベテランの先生との対戦ということで緊張気味に対局開始を待っていた。
先生はやおら駒箱を開き、駒を並べ始める。しかし5一の定位置に盤も割れよと力強い手付きで空打ちをして打ち付けたのは玉ではなく、裏返った金だった。これには思わず噴き出してしまった。私はよく知らなかったのだが後で親しい先輩に聞いたところ、先生得意のいつものジョークだったらしい。
そんなこんなで粛々と序盤戦を進めていると「四間飛車だ、四間飛車でいくぞ!」。ぼそぼそとつぶやく声が確かに聞こえた。だが組み上がってみれば似ても似つかぬきれいな相矢倉に。四間予告はいったい何だったのであろうとこれまたあっけにとられた。
結果は幸いしたのだが、プロの将棋はやはり怖いな、など漠然と思ったりもした。しかしそこは経験の少ない悲しさ、まだよく理解してはいなかったと今にして思う。
真のプロの怖さを知るのは、後日同じ先生に本物四間飛車で粉砕された、いわゆる「本気を出された」ときのことだった。
(以下略)
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ここに出てくる大ベテランの先生は、ほとんど100%に近い確率で故・佐藤大五郎九段だと断言しても良いと思う。
「この先生、ボケてしまったのかな」と思わせて相手を油断させる戦術だ。
対局当日、わざと間違った席に座り、本来の対局相手ではない棋士の名前を「◯☓君だったね」と微妙に間違って呼ぶ方式が最も有名。
無敵四間飛車の佐藤大五郎九段。
壮年時代の個性溢れる逸話も多い。