将棋世界2001年3月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
朝から先崎君の様子が尋常でなかった。きちんと膝をそろえて座り、あごを引いて眼は盤の中央あたりに向いている。険しい表情で集中しいるというより、何かを念じているように見えた。
半ば首のかかった一戦である。負けられぬ気持ちはわかるが、開始から全力で走って最後まで保つのだろうか。
相手の加藤九段も、圧力を感じたか10図で動かなくなった。たった五手進んだところで百五分の大長考。▲3八銀と指されると、また長考で、そのまま昼休みになった。
(中略)
このころ加藤対先崎戦は13図となっていた。出だしのスローペースからすれば、よく進んだというべきか。ただ加藤九段の残りは一時間を切っている。
13図の形勢は、一見後手がよさそうである。駒の損得はなく、角を手駒にしている。なにより飛車がさばけている。対して先手の利は、一歩得と4筋方面の厚みだけだ。先崎八段も、仕掛けられたあたりに読み損じがあり、いかん、と思っていた。
しかし盤上今打った▲6六角が好手。この角が全局を支えている。局後、加藤九段も「私がいいはずだ」と言って、いろいろ調べたが、決め手はなく、意外なことに13図は形勢互角に近いのだった。
(中略)
14図以下の指し手
▲3五歩△同歩▲4六銀左△3二金▲5五歩△4三銀▲5四歩△4二金右▲4四歩△5四銀▲3四歩△4五桂▲4三歩成△同金左▲1一角成△4四歩(15図)後手が有利だが、見た目ほどでないのは、金銀の位置が低いところに原因がある。その弱点を先崎八段はじわりじわりと攻める。
▲5五歩と一歩を補充して▲3四歩を狙えば、後手は△4三銀と受ける。この次、△4二金右は、先崎八段が感嘆した好手。感想戦でそれを言ったが、加藤九段は無反応。自分の指した好手順にはいっさいふれず、指した悪手だけを検討した。こういったところが天才だる所以であろうか。
▲4四歩から先手は誘われたように攻めをつづけ、▲4三歩成から角が成り込んだ。うまく行った如くだがそうでない。△4四歩と馬を封じられ、後手有利がはっきりしたのである。
14図から15図まで、地味だがこくのある手順だった。
15図以下の指し手
▲4五銀△同銀▲6五桂△7七馬▲5七香△3四銀▲5四桂(16図)15図で▲3五銀と出たりすれば、△7七馬と取られ、次に△5七歩の叩きで終わる。
だから▲4五銀と取って▲6五桂は仕方ないのだが、それでも△7七馬で、後手の駒がそれぞれ働きはじめた。ここで形勢好転を意識し、手堅く指す気になったのか、次の△3四銀は加藤さんらしくなかった。とりあえず歩を取っておこう、といった手は似合わない。もっと必然性を追求するのが加藤将棋である。
△3四銀が敗着。△5五歩と受けておけば、先手は指す手がない。そうしなかったので、▲5四桂と打つ手が回り、全軍躍動の形となった。これ以降、後手にチャンスはめぐってこなかった。
まだ午後十時を回ったばかりである。控え室には新四段の上野君と、大阪から上京し今夜は会館泊まりの神崎君が継ぎ盤を作っている。形勢がはっきりしているので、いま一つ熱が入らず、神崎君が「この取り組は河口先生好みですね」と言ったりした。降級に関係する一局の方がおもしろい、というわけ。私はただ苦笑するしかない。
16図から、三十数手戦いはつづいたが、それは残念ながらカット。最後に、加藤九段が肉迫して、先手玉に一手すきをかけたとき、控え室では後手玉の詰み筋が見えず「えらいことになった」とざわめいたが、上野君が詰みを見つけ、騒ぎはすぐ収まった。
午後十一時ちょっと前に終了。加藤九段の感想戦は短い方だが、気が向いたのか、13図のあたりを中心にかなり長くつづいた。この二人は、どことなくうまが合う間柄らしい。一時間ばかり感想戦をやり、最後に上座の加藤さんが駒を袋にしまい、これで終わった。作法通りだが、つい無精してしまう棋士が案外多い。私は妙に感心した。
先崎君と二人で会館を出たが、彼の表情は緩まない。まだ二局のうち一局は勝たねばならない。この先ひと月半あまりの日々を思い浮かべているのだろう、と思った。
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13図が形勢互角とは、あまりにも奥の深い世界だ。
13図の▲6六角のような手は、プロにしか指せないプロ好みの手だと思う。
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この2年以上前のことになるが、先崎学六段(当時)は加藤一二三九段に「どうして居飛車穴熊にするの?」と聞かれ、「堅いからです」と答えると、「棒銀がいい戦法なのに、どうして指さないのですか」と言われている。
感想戦での会話か、控え室での会話かはわからないが、加藤一二三九段が他の棋士にこのように質問を投げかけることは珍しい。
そういう意味でも、加藤一二三九段は先崎学九段に対して、話しやすいという思いを抱いていることは確かだと思う。