将棋世界1982年6月号、能智映さんの「棋士の楽しみ」より。
大山は第一人者の地位を永く保っている人だけに、CMにも数多く出演している。テレビのCMだけでも5つや6つではないはずだ。
(中略)
大山と近しい日中象棋協会の藤尾英之介氏は、これにまつわるエピソードを教えてくれる。それは、いまでも流れている箱根の旅館の「天成園」のCM撮りのときの話だ。
前置きが少々長くなるが、このCMで大山が流れ落ちる滝の前に和服姿で立つように、この「天成園」は滝が名物だ。その滝にまつわる話を先に紹介しておこう。
それは53年の中原対加藤一二三十段の王将戦の七番勝負の対局中だった。すごく音に敏感な加藤がじっと考えるのにどうしても滝の音が耳ざわりになってきた。そして、ついにこらえ切れずにいったという。
「あの滝は止まりませんか?」と。
ウソのような話だが、その対局に立ち会っていた丸田祐三九段は「ほんとうですよ。滝も止まりましたよ」と証言しているから、多少の作り話が混じっていても実話に近い話らしい。
そのように、いつも大事な対局に使われる「天成園」からCM出演を依頼された大山はいろいろ考えたようだ。あとは藤尾氏の言葉を借用させてもらおう。
「将棋連盟と天成園は特別な関係なので、CMに出ても大山さんはそう大したお金にはならない。第一、収入の多い大山さんのことだから、そのわずかな出演料から税金を引いてしまうと、なんぼにもならない。だから、ただ同然でOKしたんじゃないですか。パチッと駒を進める姿が全国に流れれば、将棋の普及になる、ということで―」
その撮影の日、藤尾氏や「近代将棋」誌の永井英明社長など、何人か大山に近しい人たちが旅館まで同行し、大山がカメラに追われているあいだ中、ずっと麻雀を打ったり、酒を呑んだりしていたようだ。
CM撮りの時間がちょっとでもあくと、大山はその”娯楽室”にもどってきて、「やっと時間ができた。休みの間に半荘だけ入れてよ」と息抜きをしては何回も席を立っていったという。―1分たりともおろそかにしないため、知人を集めておいたのも、いかにも大山流ではないか。藤尾氏はさらに続ける。
「あの旅館代、私たちは一銭も払った記憶がないが、もしかするとそれが出演料だったのかなあ。それとも、大山さんが自腹を切ってくれたのかなあ!?」
「天成園」は滝を止めたことで、棋士たちの心証をよくしたのかも知れない。
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加藤一二三九段が滝を止めたのは、天成園の「玉簾の瀧」(たまだれのたき)と思われる。
天成園は、小田原城主の家系・稲葉氏の別邸があった地で約60年前に開業した。
庭園には「玉簾の瀧」が流れ、瀧の源流となっている湧水は、古くから「延命の水」として箱根越えをする旅人たちに親しまれたという。歌人・与謝野晶子もこの瀧の風情にふれ、「山荘へ 玉簾の瀧流れ入り 客房の灯をもてあそぶかな」と歌に残している。
「玉簾の瀧」は、大山康晴十五世名人が出演した天成園のCMに映っている。
思っていたよりも大きな滝なので、当時の天成園のスタッフの方々は大変だったことだろう。
加藤一二三九段が、滝を止めた時のことについて朝日新聞の取材に答えている。
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調べてみると、天成園は、じゃらんのクチコミ評点で4.4、楽天トラベルのお客さまの声で4.2と、非常に評価が高い。
午前10時から23時間営業の日帰り入浴コースも好評のようだ。
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更に、もうひとつのトピックスは、天成園にアヒルがいるということ。
羽生善治三冠ご一家が近場で旅行するには最適な場所かもしれない。