将棋マガジン1986年10月号、「思い出のアルバム 追悼!!高島一岐代九段」より。
高島八段は、当時「日本一の攻め将棋」という異名を奉られたほどの強烈無比な「攻めの人」。
一方、大山名人は自他ともに許す「日本一の受け将棋」であり、強靭無類の「受けの人」。
その第14期名人戦第2局(於・大阪住吉「鉢の木」)での観戦記には、
立会人「大野八段(解説者)、新聞社の表の大盤解説で(平凡な展開で)弱っとるやろな」。
高島「バカメ、行儀のよい将棋指しやがって、ちっとも解説するところあらへん……言うて……」。
とたんに名人「言うところ作らしてやろか」と▲1七香。の一幕を書いている。
(以下略)
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1955年の名人戦、大山康晴名人-高島一岐代八段戦
「日本一の受け将棋」対「日本一の攻め将棋」、盾と矛の戦い。
結果は4勝2敗で大山名人が防衛している。
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立会人が誰だったのかは書かれていないが、立会人が「大野八段(解説者)、新聞社の表の大盤解説で(平凡な展開で)弱っとるやろな」と言った局面は1図。
まだまだ矢倉の駒組みの段階。
盤外の話を多く盛り込まなければ、解説的には厳しい局面だ。
1日目だからということもあるが、立会人がそのような話題を呟く、古き良き時代の話だ。
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「言うところ作らしてやろか」と大山名人が言って▲1七香。しかし、棋譜を見ると駒がぶつかりあうのはもっと先だったようで、解説者泣かせの局面はまだまだ続く。
この一局は高島八段が勝っている。
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別の年の名人戦での、大野源一八段(当時)の大盤解説会のエピソードもある。