大山十五世名人と将棋の旅

今から20数年前、「大山十五世名人と将棋の旅」が毎年行われていた(主催は日本将棋連盟と近代将棋)。

楽しみ盛り沢山な旅行だったようだ。

湯川博士さんの「なぜか将棋人生」の『南紀・将棋の旅』同行記にその様子が書かれている。

今日から王将戦第5局が南紀白浜で行われているが、たまたま同じ南紀。

(太字は湯川博士さんの文章)

1985年の「南紀・将棋の旅」は三泊四日、参加費は一人66,000円、参加者は128名。

まずは主催者の一人、近代将棋の永井英明さんに話を伺った。

「旅のはじまりは1980年に、近代将棋30周年を記念しまして大山名人との旅を企画したんです。その時は定員をはるかにオーバーして200人くらいの人が来てくれました。それで評判がいいので、翌年からは文春名将戦まつりとなって毎年続いているんです。宮崎、大分、四国、北海道と、ずいぶんあちこち行きました。実はこの旅行に参加のプロ棋士は、すべてノーギャラなんです。計算していただけるとわかりますが、会費は旅行の実費だけです。大山先生といっしょに行こうという棋士が好意的に来てくれている、これも好評の一因だと思いますよ」

当時は週刊文春で名将戦が行われており、旅行中には名将戦の対局も行われる。

次のようなスケジュールだった。

2月9日(土)

16:00 将棋会館集合

16:30 バスで晴海ターミナルへ。カーフェリー「さんふらわあ号」に乗船

夕食後 旅の開会式

・大山康晴十五世名人あいさつ

・同行棋士、スタッフの紹介

・模範対局(前田祐司六段-宮田利男六段)

 解説は大山名人と石田和雄八段

模範対局が終わり、石田八段の解説が場内を沸かしている。

「私、前日は順位戦でほとんど徹夜で寝ていないんです。千日手指し直しをやりましてね。今四敗ですが、三敗者三人の内、誰かが負けてくれると昇級の目が出てくるんで、一所懸命指しまして、なんとか四敗を堅持しました。ところが他の三人の成績を聞いてみますと、三人ともそっくり勝ったというんでしょう。私、ガックリきましたよ(拍手と笑い)。でも来期は上位につくので頑張ります。私と違ってこの前田六段は、7勝1敗ですからまず昇級は大丈夫でしょう」

ここで前田六段は、巨体を折り曲げてあいさつ、会場は拍手、拍手。

この晩、湯川さんはこの旅行を手配している旅行会社の社長にインタビューし、その後、秋葉原ラジオ会館社長の七條兼三氏の部屋で酒を飲む。この時に初めて会ったのが「広島の親分」高木さんだった。

2月10日(日)

午前中 紀伊勝浦港へ入港。バスで那智の滝へ。

バス4台に分乗だが、1台ずつプロ棋士を配置。私は大山名人と同じ1号車。滝の次は那智大社。ここの階段はかなりあるが、大山名人はスタスタとトップで登り、頂上の大社で一行を待つ。このスタイルはどこでも同じ。

「私は必ず一番乗りを心がけています。そうすればお客さんが後から来て、私と記念写真を撮りやすいですから」。

これは大山流の気配りだ。

昼食後 ホテル浦島へチェックイン

・アマ名将戦(64名のトーナメント)

・名将戦観戦(脇謙二六段-児玉孝一五段戦)

19:00 宴会(立食パーティー)

      途中から板谷進八段が参加

湯川さんは、参加者と話をしたり、温泉に入ったり、関係者と飲んだり。

2月11日(祝)

熊野大社、鬼ヶ城、ウラケイパール、二見ヶ浦観光など、観光主体の日。

バスの中で参加者同士が糖尿病の話で盛り上がっていると、大山名人も話に加わる。

午後 鳥羽ロイヤルホテルチェックイン

・アマ名将戦決勝

19:00 宴会(和室)

・アマ名将戦表彰式

・全員に賞品が当たるくじ引き

2月12日(火)

午前 伊勢神宮観光

バスで名古屋へ。

途中、松坂のドライブインで松坂牛の昼食

15:00 名古屋駅前で解散式

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当時だからできたことなのかもしれないが、企画だけでも面白いうえに、将棋界の大旦那だった七條、高木両氏やアマ古豪などが参加していて、夢のような旅行だったと言える。

解散後、湯川さんは、名古屋から東京へ向う新幹線の車中で、大山名人から色々な話を聞いている。

当時の大山名人の考えていることや思いが率直に出ていて、このインタビューも非常に興味深い。

(明日の記事は、この時の大山名人インタビュー)