ゼニになる将棋(前編)

升田幸三九段が7局中5局升田式石田流を採用して大山康晴名人と激闘を繰り広げた1971年の名人戦終了後、この二人の対局は2局しか行われていない。

今日から3日間、そのうちの一局を紹介したい。

1974年度A級順位戦、升田幸三九段(先)-大山康晴九段(棋聖)戦。

この二人は、対局においてお互いの持ち味を最大限に引き出しあう組み合わせだったのではないだろうか。

升田流のいかにも振飛車らしい技、大山流の手厚さが随所に出てくる。

東公平さんの「名人は幻を見た」、ゼニになる将棋より。

対局中の会話が絶妙だ。

(太字が東公平さんの文章)

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両対局者は榧の間にいて、それぞれ別な人と雑談をしていた。テレビの撮影があるらしく、コードが張りめぐらされていた。

「時間かな?」―やわらかい声で大山九段がそういってサッと上座に座った。升田九段も、無意識にだったと思うが上座にすわろうとしていたので、ちょっと大山さんに席を取られたかっこうになってしまった。私のうしろを回って反対側にすわった。

大一番である。板谷、大内をひねった升田は火と燃えている。「次は大山君だったな」といったのは、大内を負かして、感想戦を終わった時だった。

大山の心境、私には全然わからない。口もとを引き締め、兄弟子にあたる升田の、無遠慮な視線をがっちりと受け止めた姿。

▲7六歩△3四歩▲7五歩で始まった。

「升田式石田流」―しかし手堅い△6二銀を見た升田が、あっさり▲6六歩とやって、まっとうな振飛車に転換した。

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升田九段は石田流本組みにすることも可能だったが、△8五歩に対し▲7七角として▲6八角と引く、現代でいえば藤井猛九段が好んだ形の石田流にした。

「テレビ局はよう知っとる」と升田がいった。「今日は名人決定戦や。イナカでカイコ飼うとった本当の名人が、二十年ぶりに出て来ました」

カメラマンにこの冗談が通じたかどうか。隣席の二上と米長がふくみ笑いをしていた。テレビカメラは、実は塾生の永作君の生活を取材に来ていたので、彼が大山さんの食事の注文をきくところでライトがつき、テープレコーダーがまわった。

大山は「そうね……堅い焼きそばにしよう」と答えた。

升田九段の昼食のことは書かれていないが、東公平さんの著書によると、「ゆで卵2個」のように簡単に済ませることも多かったらしい。

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▲7五銀型の石田流は、升田九段好みの形。

ここから▲5五同歩△同銀▲3五角△4四銀▲6八角△5三金と進む。

後手は3五の歩を只で取られて損に見えるが、将来の△2四角からの攻め味を含みにした大山流の柔軟な技だ。

タバコを吸わない大山、記録の青年に「灰ザラ取り替えて」と命じる。

升田の灰ザラを、である。ハイ、青年が立ち上がる。升田、タバコをくわえた。が、火をつけない。マッチを右手に持ったまま盤上をにらむ。灰ザラが来る。升田、マッチをシャッと擦る。そして口もとへ持ってゆく。

(中略)

「みんなこっちを見てる。参考になるんかしら」

大山は私にそんなひとりごとを聞かせた。二上も米長も隣席から注目し、ほかに四人か五人、立って見ている。

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▲5三歩は妙手。△同角なら▲6五歩△7四香▲6四歩△7六香▲6三歩成が角に当たる。

大山、ちょっと席をはずして、戻って来た。

「どうもどうもという将棋か」と何だかわからないことをいい、着手は△2四角だった。(▲5三歩△6七歩▲5九角のあとに△2四角)

「名人戦より迫力あるだろう」と升田が、観戦の龍記者にいった。

(つづく)

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