今週の週刊新潮の特別読物として、中原誠十六世名人の『名人戦七番勝負秘話 かくて羽生さん「メガネの反撃」が始まった』が掲載されている。
名人戦での羽生名人の3連敗。英文学者の柳瀬尚紀さんが心配して、中原十六世名人に「羽生さんはどうしたんでしょうか」と聞く。
この時点で中原十六世名人は「指し方がやや単調ですね。いつもはもっとゆったりとした感じですが」としかいいようがなかった。
その二日後、中原十六世名人は羽生名人の不調の原因をあらためて考える。
そこで思い出したのが、テレビ中継の間だけでも、羽生名人がメガネをはずして考えているシーンが2度あったこと。
中原十六世名人は、メガネが合わないのではないかと思い、柳瀬さんを通して、何かのヒントになればと連絡してもらった。
羽生名人からはお礼のファックスが届いた。
そして羽生名人の連勝が続く。
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今日の本題は、中原十六世名人が、メガネが合わないことが不調の原因になると、初めて知ったときの話。
将棋マガジン1989年5月号、中原誠名人(当時)の「私のベスト十二局」より。
(1984年十段戦、対米長邦雄王将戦でのこと)
一局目を負けて、二局目が始まる少し前あたりだったでしょうか。
ある京都の将棋ファンの方から、
「メガネの度がひょっとすると、合っていないのではないかと推測するのですが・・・」
といった、内容の手紙が届いたのです。王座戦もよくありませんでしたし、ほかの将棋もベタベタ負けていて、十段戦の出だしなんかも合わせて心配されたんでしょう。
実際に自分でも”どうも調子がおかしいなあ”とは前から思ってはいましたが、まさか、メガネの度が合っていないなんて、考えてもいませんでした。駒もちゃんと見えていましたし・・・。
ただ、二局目が始まる前に別の将棋を指したときのことです。その日はすごく体調もよく、今日は頑張ろうと気合が入っていたのですが、我ながら呆れるほどのポカをやってしまったのです。このときでした。これはひょっとしたら本当にそうなのかもしれない、と感じたのは。
それで改めて手紙を読み直し、視力検査へ行ってみることにしました。
そうすると驚いたのは、ファンの方の推測通りで、やはり目が悪かったのです。そこで指摘されたのが、盤上と目の距離が近くても「駒がボンヤリ見えているのと、ハッキリ見えているのとは違う」とのことでした。私はもともと度が強いほうなので、普通は1.0ぐらいに度数を合わせるのを、0.7か0.8ぐらいの弱めに合わせていましたからだんだんと狂いが生じていたようなんです。メガネはあまり強すぎると長時間の対局だと疲れがでるし、弱すぎると手の見え方に時間がかかるし、調節がとても微妙です。
ある人に”心眼で考えておられるんだから、視力は関係ないでしょ”なんて言われたことがあります。心眼とは恐れいりました。
将棋は頭で考えているようですが、目で考えている部分もかなりあるのです。ともかく、メガネを新しいのに取り替えてみました。
すると、これが実にいいんです。
ウン、よし・・・頑張るぞと、自信が戻ってきたのです。実際に十段戦の第二局・第三局と連勝しましたし、それから一年間ほどは勝率が七割ぐらいはいったでしょうか。
このことが契機に、いまでもちょっと変だなと感じたら、すぐに視力検査へ行くようにしています。
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ファンとは本当に有り難いものだ。
羽生二冠も、4月に入ってから5月15日まで1勝5敗だったのが、5月17日から6月25日までは9勝1敗。
メガネを変えた効果が驚くほど表れている。
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そういえば、昭和の頃、中原十六世名人はNikonのメガネのCMに出演していた。
メガネのCMに棋士はピッタリだと思う。