挑戦者である丸山忠久八段(当時)の描写、一手の敗着に対する立体的な表現など、特徴と味わいのある観戦記。
将棋世界1999年11月号、日本経済新聞の松本治人記者の「王座戦五番勝負・第1局 予告された局面」より。
午前八時四十五分、和服姿の挑戦者が早くも対局室に姿を見せた。開始までまだ十五分もあった。海で遊んだ直後なのか健康そうに日焼けした顔で、静かに下座に着くと、ちょっと駒台の位置を直してからは前方を見詰めたまま動かなくなってしまった。専門誌や主催紙のカメラマンが待ってましたとシャッターを切り始める。挑戦者はしばらくの間、ファッションモデルのように写されるままの状態になり、連続フラッシュが相当まぶしかった筈だが平然としていた。眉一つひそめてもコンセントレーション(集中力)がそがれる、と思っているらしく微動だにしない。
やがて王座が「おはようございます」と大きな声であいさつしながら上座へ。九時二分前。白い肌は相変わらずだが、この日の朝は、いつもの秀麗なイメージとは異なり常より動作が大きい。弾みをつけるように頭を下げて礼を交わした。こちらは体を動かすことで闘志をわかそうとしているかのようだ。王座が小気味いい乾いた音を、挑戦者は常の如く音をさせずに駒を並べ、飯島栄治三段が白布に駒を振ると歩が三枚。立会の廣津久雄九段が開始を告げた。観戦記は作家の常盤新平氏。ほんの少しの時間、下唇を薄く噛んで盤面を見下ろしていた王座が角道を開け、将棋界秋の陣を告げる王座戦五番勝負がスタートした。
(中略)
「A級八段の勝ち方としては、ちょっと異常」-。戦前の予想座談会で佐藤康光名人がそう苦笑していた。確かに今期の丸山は本局まで十八連勝を含む十九勝二敗という成績で、対戦相手も強者ぞろいのA級としては、通常考えられない。とりわけ、この十八連勝という数字は当分破られそうもない。春から夏にかけて、将棋界には「結局、マルちゃん(丸山八段の愛称)が勝つんだろうな」といったムードすらあった。解法のテクニックで最新定跡を分析し、白星を量産する将棋サイボーグのイメージである。
羽生と丸山は同じ七十年九月生まれだが、初対局は羽生の飛車落ちだったというから、そのキャリアにはだいぶ差がある。丸山が奨励会に入会した年の十二月、羽生はもう四段に。対戦成績も昨年まで一勝十一敗と歯が立たなかった。
ところが今年一月、全日本プロトーナメントとA級順位戦で(どちらもばかでかい勝負だ)連勝した。となれば二十年前の中原永世十段-加藤(一)件の関係を、どうしても連想してしまう。大きく負け越しながら、結局中原から名人位を奪ったのは加藤だった。
丸山には羽生と対戦することに、佐藤や森内や、郷田とは違った感慨があったはずである。しかし戦前のコメントは「一局一局一生懸命指します」のみで、いかにも丸山流。一方の羽生は「棋譜で見る限りだが自信を感じる。研究家の一方、棋風は乱戦に強いタイプで、ねじり合いを覚悟している」と極めて具体的だった。自分の知らない所で、とてつもないモンスターが生まれているのではないかと、警戒心が動いていたのだろう。
(中略)
とにかく早い。控室の時計を見ると九時半で、テレビモニターにちょうど丸山が映って△3五角の王手飛車をかけたところだった。タイトル戦のちょっとした記録ではないか。
解説者の青野九段によると本譜の▲6六角まで、すでに前例が二局あるという。一つが阿部七段-青野戦で(中略) もう一つの前例局は本局の三日前の阿部-中原戦で(中略) 消費時間から見て両対局者がこの将棋を研究してきたことは間違いなく、二人にしてみれば、いわば予告された局面であったわけだ。中座飛車の最新形である。
(中略)
本局のハイライトである。丸山が指した時は午後二時に近かった。
局後、丸山は「考えたのは△2五飛、△2八歩、△3六歩。どの手が最善か分からなかったし、どちらが有利か、形勢判断もよく分からなかった」と笑いを絶やさずに答えている。いかにも「丸山語」だが、感想戦でのやり取りから、長考の内容をおぼろげながら知ることが出来る。
(中略)
△2八歩が最善手とされる。
(中略)
丸山のは本譜の△3六歩にもある程度の成算を持っていたが結局「敗着か」と嘆くことになった。
(中略)
中座はこの日、将棋会館の控室で仲間の若手らと共に本局の推移を追っていた。丸山の△3六歩を聞いて、ちょっと意外な気がした。なぜ△2八歩としないのだろう。研究していると後手が指せそうに見えた。後日、羽生が感想戦で「序盤は先手にも自信がなかった」ともらしたのを知った。この変化はこれからも公式戦で指される。難しいが近い将来何らかの結論が出るのではないか。そんな気がしたという。
中原は全日本プロの対局中だった。局後、やはり本譜の順を聞かされた。この将棋はもっと後手に工夫の余地がある、そんな感想を抱いていた。
名人の佐藤は対局場に赴き青野と継ぎ盤で研究した。結局終局までを見届け、感想戦には顔を出さずに愛車を運転して帰っていった。コメントはなし。
前例局を二局とも公式戦で指した阿部は、この日状況しており親友の植山六段の自宅で大野六段らと共に研究中だった。阿部が対中原戦で本局の順を知りながら選ばなかったのは▲6八銀の局面に先手として自信がなかったからだ、という。本局で後手は△2八歩と打つ一手じゃないか、そう思っていた。その後の指し手を聞き、段々興味を失っていくのを感じた。植山の家から対局場までは車で三十分程度の距離である。大野が行こう、と誘うと阿部が答えた。「行かなくともいいんじゃないですか」。
(中略)
△4六歩は最後の長考だった。しかし控室の棋士たちから「丸山くんは余して勝つ棋風なんだ。攻めあっちゃだめだな」「光速流(谷川)の△4六歩ならオヤッという効果もあるけどね」と軽口が出る。終局近し、のムード。▲8三香成を指す時の羽生の手がしなっていた。
(中略)
対局室に入ると、羽生が前傾姿勢で考え、額に髪がかかっていた。丸山の口が少しとがっている。盤側では常盤氏が憂愁の表情でメモを書き留めていた。
終局は午後九時四十七分。
(中略)
打ち上げでは、丸山を「エイリアン」と評した先崎七段の人物月旦が秀逸、という話になった。柔和な外見とは裏腹に丸山ほどナゾめいている棋士もいない。しかしもう一人エイリアンがいる、という声が出た。羽生がその人で、勝ちまくっている相手を負かし、その好調な勢いを吸い取って自分のものにしてしまうエイリアン。今年の王位戦を見ていると、なるほど、とも思える。そうか、エイリアン同士のタイトル戦か、と納得した時には午前零時を過ぎていた。
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この対局はフォーシーズンズホテル椿山荘東京で行われた。
五番勝負は、羽生王座が3勝1敗で王座を防衛している。
丸山八段は、この翌年、名人位を獲得する。
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近年話題となった丸山九段の対局の姿がYouTubeにアップされている。
たしかに独自の路線を貫いている。
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文章の途中に「解法のテクニック」という懐かしい言葉が出てくる。
数学の大学受験参考書の名著で、著者は東京工業大学名誉教授の矢野健太郎さんだった。
矢野健太郎さんは将棋も趣味で、1970年代のNHKの正月将棋番組にゲストで出演していた。
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私が生まれて初めて女性と二人で観た映画が「エイリアン」だった。
大学4年の夏、渋谷の映画館。
人間の腹部を突き破って子供エイリアンが飛び出してくるシーンは衝撃的だった。
映画が終わった後、夕食を食べようということになり、彼女が知っている店でハンバーグを頼んだ。
その店の名物がハンバーグだという。
しかし、出てきたハンバーグを見て、多少後悔した。
映画の壮絶なシーンで出てくる人間やエイリアンの肉片の数々を思い出す・・・
ハンバーグは好きだが、この時だけはかなり微妙だった。