将棋世界2001年11月号、河口俊彦七段(当時)の「新・対局日誌」より。
今、木村五段が将棋界に衝撃をあたえている。呆れるほど勝ちつづけ、竜王戦決勝まで勝ち上がったことも、もちろんある。加えて決勝第1局の、あの勝ち方が決め手だった。一手詰めにもたまげるが、その前の、△5六銀まで指すか、と仲間達は、様々の思いを込めて首をかしげている。
ともあれ30局指して勝率9割は凄い。しかし、その星も竜王戦の挑戦者になって、はじめて生きるのである。もし、タイトルにからめぬのなら、単に年間勝率の記録を作るくらいのもので、特筆するほどのものではない。
で、この日の決勝第2局が注目されるのだが、それにしては控え室が淋しい。夜になっても人が入って来ない。B級1組の順位戦もあるのにどうしたのか、と思っていたら、なんのことはない、第二対局室に、竜王戦用の控え室があった。
夜の8時過ぎ、仕方なくうろうろしていると、4階エレベータ前で、木村五段とバッタリ会った。手にカンコーヒーみたいなものを持っている。気楽な様子なので、オヤッ?と思ったら、千日手になったところだった。
なぜ千日手にしたのか、理由はだれにもわからない。千日手が好きというなら仕方ないが、人と考えていることが違うから、これほど勝てるとは言える。
指し直し前の休憩なので、余談を一つ。
9月5日に「山口瞳さんを偲ぶ会」があった。七回忌だから、亡くなって満6年になる。
そこで挨拶に立った丸谷才一さんは、「山口さんは、人生の楽しみ方を教えてくれました。たとえば酒はどのように飲むべきか。将棋に勝ったとき、負けたとき、どのようにふるまうか」
といった話から、盛大に山口瞳さんを讃えて終わったのだが、これを受けた山口未亡人は、
「昨夜は丸谷先生の『挨拶はむずかしい』という本を開いてみたのですが、さすがに、七回忌のときの未亡人の挨拶という項目はありませんでした」
と言って本題に入ったのだが、これこそ当意即妙だと感心した。丸谷さんが、山口さんを現代の兼好法師だ、と言ったあとなので、平安時代の貴族の会話を聞いているような気分になった。
山口瞳といえば『血涙十番勝負』である。世の批評家がこれを代表作の一つにしないのは、下らぬ偏見のせいである。
あの本には、将棋の天才の最高の姿が描かれている。将棋指しは、みんなこんなに素晴らしい人間なのか、と惚れぼれする。名文のせいだけでなく、本当にあのころ(昭和40年代)の棋士は輝いていた。いや、文壇だって今とは比較にならぬくらい好況だった。
『血涙十番勝負』は1ヵ月おきに「小説現代」に連載されたが、その一局にかける費用は大変なものだった。なにしろ対局場所にしてからが、東京だったら「福田家」か「羽澤ガーデン」、名古屋なら「八勝館」といった、名人戦でおなじみの、飛っきりの高級料亭。そこに解説役の芹沢やら、記録係、応援団の棋士が集まり、対局が終わった後は宴会だから、豪勢なものである。当時の私は、どってことのないCクラスで、雑誌で読んでいて、別世界の出来事に思えた。
偲ぶ会の幹事役が、書中にしばしば登場する、担当のM青年だったので、よい機会とばかり、どのくらいお金がかかったかを聞いた。
とたんにM氏は往時を懐かしむ眼になり「今では考えられぬ額でしたね」と言った。今なら一局につき100万は楽に超えたろう。金と手間をかけたから、あのような名作が生まれたのである。
前回、小林秀雄の贅沢ぶりにふれたが、山口さんは、好きなことをやれた、最後の文士世代だった。碁打ち、将棋指しも事情は似たようなものだ。
さて、竜王戦が再開された。そして30分たったら木村不利になり、40分たったら敗勢になっていた。
老人席で一息入れていると、行方六段が控え室からふらっと出て来た。「あんなもんか」と呟いたような気がした。
(中略)
竜王戦は羽生勝ちで終わった。大差だったが、最後に見せ場を作ったあたり、木村五段も大したものだと思わせた。行方君はあんなことを言ったが、一番負けたくらいで、木村株が暴落したわけではない。
(以下略)
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ここで書かれているのは、竜王戦挑戦者決定戦三番勝負〔羽生善治四冠-木村一基五段〕第2局があった日の出来事。
この三番勝負については、野月浩貴五段(当時)が非常に印象的な観戦記を書いている。
→木村一基五段(当時)「楽しかったよ……でもさ、複雑な気分だけどね」
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行方尚史六段(当時)の「あんなもんか」には、様々な思いが含まれているのだと思う。
親友である木村一基五段への思い、同世代の棋士が羽生善治四冠(当時)に迫れなかったことの悔しさ、もっと頑張ってくれという願い、自分ならもっと……
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今日から始まる名人戦第2局、副立会人は木村一基八段と行方尚史八段。(立会人は屋敷伸之九段)
面白い掛け合いが見られるかもしれない。
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「今なら一局につき100万は楽に超えたろう。金と手間をかけたから、あのような名作が生まれたのである」
『血涙十番勝負』は私が中学3年の時にリアルタイムで読んだ本で、本当に面白かった。
駒落ちには興味がなかったのに、どうしてこの本を買ったのか、思い出せない。いろいろな棋士のことをもっと深く知りたかったのかもしれない。
どちらにしても、『大野の振飛車』を毎日のように見て棋譜並べをし、『升田式石田流』も毎日のように読んで棋譜並べをし、将棋世界も読んで、その上に『血涙十番勝負』を読んで、それが中学3年の後半の私だったわけで、第一志望の高校を落ちてしまうのは当たり前すぎることだった、と今なら思える。