将棋世界2003年6月号、7月号、先崎学八段(当時)の「駒落ちのはなし」より。
いくら「丸投げ」から始まった連載とはいえ、校了まで2週間を切っているのに丸投げのままなのである。先崎学が無責任な人間ならば、このページは白紙のまま発売されていたであろう。
だいたいにおいて、今からすぐ人を集めるなんて無理が利くわけがない。なにしろ2、3日しか猶予がないのである。
どうしようと悩んでいた時、私の頭に電流が走った。日本で一番無理が利く人種を思い出したのである。
雑誌編集者だ。作家のためならどんな不可能でも可能にする。作家が白いといえばカラスも白い、そういう世界に生きている人達ならば、急遽集まってくれるかもしれない。
もちろん私は大作家ではないから私が白いといってもカラスは黒いし、そうそう無理をいうわけにはいかない。とはいえ、ことは将棋だ。将棋に関することで、私が将棋ファンの彼らに声をかけるのだ。出版社の編集者といえども将棋を前にすれば、将棋オタクである。ということは、こと将棋に関しては私は大作家のようなものではないか。
なんかちょっと違う気もするが、そんなこんなで、我々は出版業界の方に無理をいって、日時をセッティングした。
(中略)
というわけで、当日は8人の人に集まってもらった。この人達は、私が日頃からお世話になっている人、よく酒を飲んでいる人、仕事上お世話になっている人などである。まあこの3つは境目があってないようなもので、つまりは原稿と将棋と酒の三種混合デスマッチを戦っているような関係である。
(中略)
決戦は4月7日。場所は大塚の寿司屋「咲屋敷」。ここのご主人は大の将棋ファンで、講談社御用達の店である。
(中略)
Round2 下手 グラドル岡
さて、二番手。本日紅一点のグラドル岡嬢(24レーティング520点)である。グラドルとはグラビアアイドルのことだ。岡嬢になぜこの名前がつくかというと、本誌のグラビアに登場したことがあるという、ただそれだけなのである。実はこの原稿を書くにあたり、グラドル岡だけニックネームが決まらなかった。そこで岡嬢をよく知る人物に相談すると、ボンレス岡というのはどうやといわれたのだが、私にも武士の情けはある。将棋世界のグラビアといえども立派なグラビアで、そこに載れば(しかもカラーだった)まあ心を思いっきり広くしてお釈迦様のような目で見れば、グラドルといえなくもない。
グラドル岡嬢は、4五歩位取りから二歩突っ切りをやってきた。ふむふむ、この連載を読んできてくれているな。私はちょっぴり嬉しくなった。
(中略)
▲7三歩の瞬間、ギャラリーからため息が洩れる。まず、この後に登場する高沢推理虫が深いため息をつく。すると、つられて皆ため息が出る。一番の強者がつくため息に、ほかのため息が重なるのがおもしろい。
グラドル岡嬢もその気配を察したらしく「あれーっ私やっちゃったのぉ……あーごめんなさい」と動揺の色を隠すことができない。「でも、うん、頑張らなきゃ」。将棋を指す女性特有の、こうした可愛らしさと男っぽいさばさばした両面が、私は好きである。キャッキャッとはしゃいでキリッとしまる、グラドルの面目躍如といったところだ(岡嬢、これはイヤミではないよ)。
この将棋は、ここで大差になってしまった。
(中略)
グラドル岡嬢、惜しくも敗退。小さな写真でグラビアアイドルとからかわれたのが不本意だったのか、こうなったら次はバニーガール姿で将棋世界のグラビアに出る(内輪のパーティーでホントにバニー姿になった前科あり)と息巻いているが、その日は将棋界が終わる日である。
Round3 下手 高沢推理虫
ここまでは24のレーティングを見てもお分かりの通り、私にとって比較的楽な相手であった。これはイカン。先崎をこのまま調子づかせるなということで、送り込まれた刺客が、本日の最強者、高沢推理虫(24レーティング2100点)である。本職は新潮社の小説誌の編集をしているのだが、かたわらでミステリーの評論もしており、ミステリー好きの私にとっては雲の上の人なのである。棋風は新潮社の名に恥じない慎重な将棋である。そういえば、新潮社の人は皆そうだ。偶然とはいえおもしろいものである(かといって講談社の人が高段者だとは限らない。すみません、長々とくだらないダジャレで)。東大将棋部出身、まあはっきりいって四枚落ちでは手合違いだ。
(中略)
Round4 下手 今泉亭詰吉
次のチャレンジャーは、当日のアル中予備軍の集団の中にあって最もアル中に近いという今泉亭詰吉氏(24レーティング1812点)であった。「いやぁ、こないだ大崎さん(いわずと知れた元本誌編集長。作家。高橋和さんをさらって世間をアッといわせた。アル中)と朝の8時まで飲んじゃいましてねえ」などと平気でいうヒトである。
氏は大の落語好きにして詰将棋マニアである。シブイ趣味である。これでアル中でなければ風流人なのだが、惜しむらくはアル中なのである。
今泉亭詰吉氏は、文藝春秋から私が出した名著(誰もいってくれないから自分でいうのである)『浮いたり沈んだり』の編集担当者である。
小学生の頃から強豪として大会に出ていたらしく、羽生、森内、そして私などとも大会で顔を合わせているのが自慢なのだ。
月日は流れ、あれからはや20年。片や文藝春秋の編集者、そして片や将棋指し。そのふたりが本を作るのだからおもしろいものである。
(中略)
Round5 下手 山岸金曜日
5人目は山岸金曜日氏(24レーティング1723点)。金曜日というのは妙な名前だが、講談社から出している雑誌の日本語読みである。氏はそこの机であるらしい。机といっても椅子はない。金曜日の机(デスク)なのである。金曜日というのは、あらゆる芸能人、政治家、スポーツ選手から蛇蝎のように嫌われている雑誌で、そこの机である氏はというと、すべての有名人に嫌われる存在なのである。最近は『島ノート』を売りまくって鼻高々で「俺はこれから将棋の本を作って生きる」と口癖のようにいっているが、その夢が現実となった日には、永田町と東京ドームのベンチ裏では拍手がおきるであろう。
もっとも本人は意外な好人物で、金曜日の机という肩書からは信じられないくらい、誰にでも愛される人である。ただしアル中である。それとなぜか、中井広恵さんの大ファンなのである。本人曰く「世の中のどんな女性よりも美しい。中井さんのためなら人生捧げます」。単なるファンというなら分かるが、ここまでいわれると、金曜日のカラーグラビア写真の見過ぎの反動としか思えない。
(中略)
Round7 下手 ジャックダニエル矢吹氏
神の登場に場内はどよめく。
「おお神だ」「神が来た」
神は成績表を一瞥して「なんだ山岸、お前ホントに勝ったのか。今泉、だらしないな」と威厳のある声で周りの人間にことばをかける。
ジャックダニエル矢吹。講談社の彼は、よく分からないがそこそこ偉い人で、名著(二冊ともエライ賞を取ったらしいからこういうのである)『聖の青春』『将棋の子』の編集担当者でもある。村山聖という人間がいなかったらもちろん『聖の青春』はなかった。大崎善生という人間がいなくてもなかった。しかし、このジャックダニエル矢吹氏がいなくてもあの本は世に出なかったのである。そんなスゴイ人なのだが、なぜか社内では最近ダニエル矢吹と呼ばれているらしい。どこからどう見ても日本男児の氏がなんでダニエルなのかさっぱり分からないが、ダニエルといえば、やはりジャックダニエルではないだろうか、ということなのである。
ジャックダニエル矢吹氏がなぜ四枚落ちの神様なのか。それはひとえに氏のプロとの対戦数の多さからくる。
四枚落ちの下手だけで100局以上!これほど恵まれたアマチュアは外にはいるまい。とにかく、棋士を見つけては四枚落ちの対戦をせがむ。棋士も『聖の青春』のいきさつは知っているからまあ一局となる。
そして成績は……まあ3割ぐらいの勝率らしい。しかし、これだけ指すと四枚落ちの戦法は、ありとあらゆるものを試したらしいのである。そして「神」と呼ばれるまでになったのだ。
ところが神様、遅れて来た時からちょっと酔っていた。社内でダニエルと呼ばれるのはやはりストレスが溜まるのだろうか、とにかくヘロヘロなのであった。
第16図は出だしの局面。
(中略)
以下はボロボロになってしまったので、神様を汚す棋譜は載せずにおく。局後もさらに酔っ払いながら、ジャックダニエル矢吹氏は熱く四枚落ちを語るのであった。今、日本で一番四枚落ちに熱い男は、こうしてアルコールの海に沈没した。
(以下略)
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テレビディレクター、新潮社編集者、文藝春秋編集者、講談社編集者の方々。
このメンバーは、今はなくなった新宿の酒場「あり」の常連。
先崎学八段(当時)は講談社将棋部の師範だった。
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「岡嬢になぜこの名前がつくかというと、本誌のグラビアに登場したことがあるという」
このグラビアとは、女流アマ名人戦の出場メンバー紹介のページでのこと。
テレビ番組制作ディレクターの岡美穂さんは、それとは別に、将棋世界2001年9月号に随筆を書いている。
→「この間、トイレで○○三段が”たのむ、俺を殺してくれ”って言うんですよ。わかりますか。俺たち、命かけてるんです」
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「内輪のパーティーでホントにバニー姿になった前科あり」
これは岡さんの「二度目の成人式」パーティーでのこと。私も出席していたが、本当にビックリした。
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山岸金曜日である山岸浩史さん。
山岸さんは将棋に関して数々の名記事を書いているが、その中でも代表的なのが、将棋世界に連載していた「盤上のトリビア」。
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ジャックダニエル矢吹こと矢吹俊吉さんは『聖の青春』『将棋の子』『あっと驚く三手詰』などの編集担当者。
「なんだ山岸、お前ホントに勝ったのか。今泉、だらしないな」など、いかにも矢吹さんが言いそうな台詞で、可笑しい。