今日は6月4日(土)友引。
2008年6月4日(火曜日、大安)に、このブログが始まった。
昨日で丸8年、今日から9年目ということになる。
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2008年5月18日(日)、バトルロイヤル風間さんと浅草で飲んでいる時に、バトルさんから「どう、ブログ始めてみれば」と言われたのがブログを始めるきっかけだった。
この前日、5月17日が近代将棋最終号の発売日だったので、感傷的になりながらの飲み会だったのだと思う。
はじめは「ブログを書くなんてありえない」と思っていたのが、怖いもの見たさで、どのようにすればブログを始めることができるのかを調べているうちに、いくつかブログサービスがあるけれども自分ならどれを選ぶだろう、ということになり、徐々にブログをやってみようという気が起きてきた。
バトルロイヤル風間さんの一言がなければこのブログは誕生していなかった。
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このブログの一番初めの記事は次のようなものだった。
近代将棋で「将棋ペンクラブログ」の連載が始まったのが2007年3月。当時の吉野編集長から「近代将棋に将棋ペンクラブの広報ページを作ってみては」という有り難い申し出があり誕生したコラムでした。
将棋ペンクラブ幹事である、アカシヤ書店の星野さんと私が交互に書くことになり、タイトルは「将棋ペンクラブ」+「ブログ」の合成語で「将棋ペンクラブログ」としました。将棋ペンクラブ大賞の選考過程など、きちんとした広報の月も多かったのですが、私は後半、日記風に結構好きなことを書いていました。
しかし、59年続いた近代将棋が5月17日発売の6月号をもって暫く休刊することとなり「将棋ペンクラブログ」も14回でフリーズすることに…
不思議なもので、それまでは原稿締切に追われるのが憂鬱だったのに、何もなくなってしまうと、それはそれで心に穴があいたような状態。
というわけで、この日のために「将棋ペンクラブログ」と名付けたわけではありませんが、流れ流れてネットで再登場いたしました。
将棋の話題以外も書くつもりです。そういうわけで「将棋ペンクラブ非公認」と名乗っています。
これからどうなることやら。私のお知り合いの方々、およびまだ私とお知り合いではない皆様、どうか暖かく見守ってやってください。よろしくお願いいたします。
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インターネット黎明期の1994年、ある広告会社のデジタル部門の室長の「そこに訪ねていけば必ず新しいことがある、1日最低1回は必ず更新されているようなホームページじゃなきゃいけない」と言った言葉が忘れられない。
この室長は、営業一筋かつ超アナログ、昔ながらの広告会社の雰囲気を持つ人だった。デジタルな人が情報技術先にありきで言うのではなく、そのような人が言うことだったので、私にとっては説得力があった。
ホームページとブログの違いこそあれ、このブログで心がけていることも、毎日更新すること。
桃栗三年柿八年。8年経ったけれども、きっとこのブログは、ネタ切れになるまでは、これからもあまり変わらないと思う。
9年目のこれからも、よろしくお願いいたします。
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この8年間で、多く読まれた記事TOP50。
- 村山聖八段(当時)の急逝が将棋連盟に伝えられた日
- 羽生善治五段(当時)「そんなこと怖くて言えません」
- 渡辺明五段(当時)「羽生さんにビールをついできたいのですが……」
- 渡辺竜王と藤井九段が驚いた、驚異の羽生マジック
- 42人の棋士が語る故・村山聖九段
- 羽生善治名人が語る藤井システム
- 羽生善治五段(当時)「いえ、森内君の妹にはかないません」
- 先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」
- 1998年8月11日の羽生善治名人
- 棋士と顔が似ている有名人集大成(女流棋士編)
- 「封じ手事件」の真相
- 「私、森内の妹です」
- ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…後編
- 森内俊之八段-伊奈めぐみさん戦
- 羽生善治四段(当時)の超ユニークな自戦記
- 林葉直子女流名人(当時)「私の愛する棋士達 先崎学五段の巻」
- 天野貴元さん逝去
- 第21回将棋ペンクラブ大賞最終選考経過
- 打ち上げの席で山崎隆之五段(当時)が渡辺明五段(当時)に話したこと
- 谷川浩司名人(当時)「この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう」
- 点のある・ない論争
- 1997年、郷田真隆六段
- 佐藤康光竜王(当時)「休み?休みなんか要るんですか。だって勉強は労働じゃないでしょう」
- 永井英明さん逝去
- 故・村山聖九段が語る羽生善治名人と森内俊之九段
- 羽生善治六冠(当時)婚約記事
- 森内俊之竜王「話し足りないことがあるので、もう少しいいですか」
- 羽生名人を育んだ八王子将棋クラブ
- 羽生善治名人が奨励会に入会した頃
- 羽生善治王座の、控え室の誰もが思いもつかなかった恐ろしい着想
- 藤井猛九段「こっちは優秀かどうかで戦法を選んでない。指してて楽しいかどうかなんだから」
- 羽生名人が語るカニカニ銀
- 羽生善治竜王(当時)への深夜の電話
- 故・米長邦雄永世棋聖は言っていない「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
- 羽生善治名人「体力は森内君にかないませんよ」
- 森信雄六段(当時)「村山君よ、安らかに」
- 深浦康市六段「「丸山忠久という男」
- 村山聖六段(当時)「知らないんですか、羽生先生の将棋を」
- 光速の寄せと、迫真の描写
- 羽生善治四冠「彼は本物の将棋指しだった」
- 行方尚史三段(当時)「もし奨励会を退会するようなことになれば、ぼくは死ぬ以外に無い」
- 先崎学五段(当時)の「森内六段(当時)の好きなところ」
- 第21回将棋ペンクラブ大賞
- 森信雄六段(当時)と山崎隆之少年
- 先崎八段と行方八段
- 天野貴元三段(当時)の「八十一格の青春」
- 佐藤康光王将(当時)「我が将棋感覚は可笑しいのか?」
- 鈴木大介八段の涙
- 林葉直子さんの新刊「遺言 最後の食卓」
- 羽生善治五段(当時)の卒業