2020年を振り返る(多く読まれた記事)

2020年、トップページ以外で多く読まれた記事TOP50。

「羽生は、佐藤の勝ち筋を踏みつぶしてしまったですね。無理矢理に」
将棋世界1996年2月号、中野隆義さんの第8期竜王戦第6局〔羽生善治竜王-佐藤康光前竜王〕観戦記「理をこえる闘志」より。  1日目夕刻。1図・羽生▲1六歩までの局面を前に、控え室は佐藤がどう出るかに注目していた。  飛車先不突き矢倉に急戦を...
森内俊之五段(当時)「奨励会で返せなかった借りは順位戦で返すしかないと心にきめた。今回は5年前の雪辱戦である」
近代将棋1992年2月号、森内俊之五段(当時)の第50期C級1組順位戦〔対 佐藤康光五段〕自戦記「5年前の借りを返す」より。  昭和61年12月の第2奨励会での事、僕は三段で、その日の1局目まで12勝4敗、昇段まであと1勝としていた。(三段...
「さて現在305勝の羽生善治棋王が大山の記録を破るには年平均40勝ペースで、29年かかる。その時羽生は50歳だから、かなり現実味があるとみられる」
将棋マガジン1992年10月号、「将棋おもしろ雑学事典」より。 1.大山のタイトル獲得は80回 大山康晴十五世名人 80 中原誠名人 64 米長邦雄九段 18 谷川浩司竜王 16 加藤一二三九段 8 (1992年7月20日現在)  タイトル...
羽生善治四冠(当時)「まあ見てくださいよ」
将棋マガジン1993年10月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。 王位戦の打ち上げ(有馬温泉) タマ「あ、そういえば100面指ししたんだって?」 羽生竜王「エエ」 タマ「最後まで?」 羽生「エエ、途中まで指して、後は手分けして皆...
羽生善治棋王(当時)「棋士にはそれぞれ、相性の良い、あるいは悪い棋戦がある。私にもそういうのがあって、どうしても勝てない棋戦がある」
将棋世界1992年3月号、羽生善治棋王(当時)の連載自戦記「一手が敗因」(第33期王位戦、対 島朗七段)より。  棋士にはそれぞれ、相性の良い、あるいは悪い棋戦がある。  私にもそういうのがあって、どうしても勝てない棋戦がある。  それは、...
田村康介三段(当時)「勝っても報われずか。旅に出るか」
将棋マガジン1993年5月号、駒野茂さんの「第12回三段リーグ 展望から結末まで」より。  第12回三段リーグの対戦表が出来上がった時点で、参加32名全員にインタビューした。  コメントの内容は個々に違う。それは別表を見比べて頂くとして、興...
羽生善治三冠「おかしい、絶対におかしい」
将棋マガジン1993年8月号、羽生善治三冠の「今月のハブの眼」より。  5月と聞いて連想するものは、ゴールデンウイーク、5月病、梅雨が近づいて来た、などなどですが、最近、一つ気づいたことがあります。  それは、鯉のぼりを見かけなくなったので...
「羽生棋王、佐藤康六段、村山六段がクラス以上に強い、といってしまえばそれまでだが、この結果を見ても番狂わせと思われない現状の方がすごい。若手の勢いが実力者に位負けしない時代になったのだろう」
将棋世界1992年10月号、「第5期竜王戦」より。  竜王戦決勝トーナメント準々決勝で中原名人、米長九段、高橋九段という名人A級が枕を並べて討ち死にした。  一時代前には大先輩の前に座ると目がくらんで実力の半分も出せず、気がついたらボロボロ...
昔から奨励会内で語りつがれてきた嘘のような本当の話
近代将棋1985年1月号、小林広明1級の「記録係の一日」より。  対局が始まったら、記録係は席を立つ事はできません(トイレだけは別)。私は思うのですが、対局の最中の記録係の態度で、その奨励会員の将棋などの将来性が分かるような気がします。盤面...
森雞二九段「オレの弟弟子なんだ。まだダメな所も多いし、弱いけどいいヤツだ。応援してやってくれよ」
近代将棋1992年9月号、弦巻勝さんの「スター棋士になれるか 郷田四段追っかけ印象記」より。  四段になりたての郷田を初めて見た時は、なんだかひ弱そうな子供だなあという印象だった。  私の親友でもある森雞二九段に聞くと「オレの弟弟子なんだ。...
第32回将棋ペンクラブ大賞
第32回将棋ペンクラブ大賞が下記の通り決定致しました。(敬称略) 〔観戦記部門〕  大賞 諏訪景子 第77期名人戦七番勝負第3局 佐藤天彦-豊島将之(朝日新聞) 優秀賞 椎名龍一 第77期名人戦七番勝負第3局 佐藤天彦-豊島将之(毎日新聞)...
米長邦雄王将(当時)「最善手はどちらか。私は八王子の羽生善治邸へ出掛けて行って教えを請うた」
将棋世界1991年5月号、米長邦雄王将(当時)の連載自戦記〔第40期王将戦七番勝負第3局 対 南芳一棋王〕「温故知新」より。  近年、将棋の戦術が大きく変容を遂げているということであるが、ここらで昨今の流れをまとめてみたいと思う。  かつて...
ライバル物語第一章
将棋マガジン1995年8月号、佐藤和俊二段(当時)の自戦記「17歳の決意」より。  奨励会なんて楽勝だぜ、ビシビシ勝って16でプロになってやる。  4年以上前になる入会当初のバカな俺の心中だ。  でもさ、将棋を始めて半年チョイでアマチュア四...
「性格は将棋同様温厚かつ真面目で皆に好かれている。しかし、その童顔からは想像もつかないようなオジンクサイ話し方が数少ない欠点の一つか」
近代将棋1984年5月号、脇謙二六段(当時)の第7回若獅子戦自戦記(対井上慶太四段)「プロの厳しさを教えた一局」より。 発端  その日会館に勉強に来ていた私は、記者室で観戦記者の田辺忠幸さんに会ったので「今日は何ですか」と尋ねると「若獅子戦...
「彼は極端である。なんでもないところを大長考し、すごいところをノータイムで指す」
将棋マガジン1994年10月号、内藤國雄九段の第35期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕観戦記「短手数は面白い」より。(以下、青い文字) 2図以下の指し手 ▲3四同飛120△7四歩78▲同歩73△7六歩166(3図)  この...
杉本昌隆四段(当時)「師匠は『プロになったら、名古屋に帰って来いよ』と、大阪に住むことを許してくれました。今、名古屋にいるのは、その約束を守っているんです」
将棋マガジン1994年7月号、谷口やよいさんの「オンナの直感インタビュー 杉本昌隆四段の巻」より。  朝10時の東京将棋会館。眠たそうな顔。今起きたばかり、今顔を洗ったばかりという感じの杉本昌隆四段が現れた。でもそこが、若者って感じだ。杉本...
「ひとしきり飲食して席がざわついている時、谷川はビールびんを片手に、すっと羽生のそばへ寄った」
将棋マガジン1993年3月号、読売新聞の山田史生さんの「第5期竜王戦終了・シリーズを振り返って 二人の戦いの始まり」より。  第5期竜王戦七番勝負は、三冠王(竜王、棋聖、王将)の谷川浩司と二冠王(王座、棋王)の羽生善治の対決。中原誠が名人の...
穂坂繭初段(当時)「その羽生棋王とよく腕を磨き合っているよきライバルの先崎五段は、羽生棋王と同じぐらいの六子なのだが冴えた感覚で早指しに勝る!?早打ちである」
将棋世界1992年3月号、囲碁の穂坂繭初段(当時)のエッセイ「将棋との碁縁」より。  よく「将棋は短距離で、囲碁はマラソンだ」って、聞いたことがあるけど、案の定、私は足が遅いので囲碁をやっている。文章にしても、囲碁棋士で書く人はほとんどいな...
村山聖七段(当時)「僕は森先生が結婚することを、新聞を見て初めて知ったんです。弟子に言わない師匠がありますかねェ」
将棋世界1993年12月号、大崎善生編集長(当時)の「編集後記」より。  森信雄さんの結婚が決まりました。檜森恵美子さん、とても素敵な方です。 「その女性に連盟から感謝状を贈るべきじゃないか」とその報を知った米長名人も満面の笑み。 「知り合...
「希望の星は小学校3年生の渡辺明君だ。棋力はアマ四段」
将棋世界1994年3月号、小室明さんの「下町ならではの将棋教室」より。  ご存知フーテンの寅次郎でお馴染み葛飾柴又は帝釈天の門前町だ。京成電車を下りると、駅前から門前までおよそ200mの間に、名物の草だんごやせんべいなどを売る茶店がずらりと...
行方尚史四段(当時)「羽生さんは優等生じゃない」
将棋マガジン1994年12月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 行方尚史 羽生時代を脅かす新勢力」より。 ギャンブルにのめりこんで  前述したインタビュー記事を読んだとき、私は正直いって、ちょっと意外な感じがした。情報不足のせいか行方が、そんな...
将棋ペンクラブ大賞最終選考候補作(第32回)
将棋ペンクラブ大賞2次選考結果をお知らせ致します(2019年4月1日から2020年3月31日に発表された作品が対象)。 2次選考は、1次選考で選抜された作品を7名の2次選考委員(技術部門は3名の技術選考委員)が選考します。各2次選考委員の各...
山崎隆之4級(当時)
将棋マガジン1993年4月号、「スポットライト奨励会」より。  ここ2、3年、やや小粒化した観のあった関西奨励会だが、久々に大物が現れたようだ。この山崎君、11歳(本誌発売時には12歳)という若さもさることながら、新入会後の星が◯◯◯◯●◯...
「鳴りもの入り達」と紹介された奨励会員たち
将棋世界1989年3月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。 鳴りもの入り達の紹介  アマ棋界で輝かしい棋歴を持ち、そして奨励会に入ってくる若者が増えてきた。そこで、彼らのことを紹介したい。 小川浩一初段(1981年中学生名人・中学生...
「我々には絶対やらないような指し手のミスを、どうして羽生のときだけやるのか。信じられないことだ」
将棋世界1993年10月号、中平邦彦さんの第34期王位戦七番勝負第3局〔羽生善治四冠-郷田真隆王位〕観戦記「羽生、怒涛の3連勝」より。 「なんとかならんのかね、あの羽生という男は。全然負けないから、ちっとも面白くないなあ」  酒場で出会った...
「棋士になって一番良かったこと」
将棋マガジン1995年4月号、「第53期順位戦」より、「棋士になって一番良かったこと」からのトピックス。 羽生善治六冠 自由時間が多い 米長邦雄前名人 名人になったこと 谷川浩司王将 亀山選手と食事をした 中原誠永世十段 いろいろな人に会え...
羽生善治竜王(当時)「私は奨励会入会前後に読んだのですが、たいへんに面白く、おすすめの一冊です」
将棋世界1990年11月号、羽生善治竜王(当時)の連載自戦記〔第40回NHK杯争奪戦 対 大内延介九段〕「二転三転の一戦」より。  普段の対局は将棋会館で行われることが多いのですが、そうでないものがあります。  タイトル戦やテレビ将棋がその...
佐藤康光前竜王の車に羽生善治六冠と森内俊之七段が同乗した日
将棋マガジン1995年4月号、毎日新聞の山村英樹さんの第44期王将戦七番勝負第4局〔谷川浩司王将-羽生善治六冠〕観戦記「羽生、渾身の追撃」より。  第44期王将戦は谷川王将と羽生名人の対決になった。第1局が七冠達成がなるかどうかの注目で、多...
傷心を癒す旅に出て10キロ太った田村康介三段(当時)
将棋マガジン1993年7月号、駒野茂さんの「スポットライト奨励会」より。  第13回の三段リーグが新緑の香り漂う中スタートし、すでに4戦を消化した。  今回筆者が特に注目しているのはタムリンこと田村康介。  こう言うのには、ちょっとした理由...
羽生善治六冠(当時)「僕はまだ24歳ですからね。まだ、そこまでは」
昨日の続き。 将棋世界1995年8月号、「羽生善治にロングインタビュー『六冠王とは一種のつらい人生』より。記は団鬼六さん。 団 あの本にも書かれていましたが、将棋というのは基本的に理数の世界になるんでしょうか。 羽生 ええ、まあ、棋士になる...
加藤一二三九段「しかしですよ、こうくる、ああなる。大先生これは詰みでしょ」
将棋世界1995年1月号、天野竜太郎さんの「編集後記」より。 羽生「感想戦で話した▲4六金で先手勝ちはおかしいと思うんですが」 加藤「ほほー、どんな手順かな」 羽生「……となってこの手で後手玉の詰めろが消えると思うんですが」 加藤「しかしで...
中原誠永世十段「易々と挑戦させちゃいけないですね、ね、森内君」
将棋世界1996年2月号、沼春雄五段(当時)の第45期王将リーグ最終日 羽生、王将戦挑戦者に!!「七冠への道」より。  棋士は重大な勝負に敗れた後はなかなか立ち直れないといわれている。  特にその一局にかけるものが大きいほど敗戦のショックも...
「これまで何度も谷川の対局を見てきた陣屋の女将が『夕食の時に谷川さんの肩が落ちてしまって』と顔を曇らせていた」
将棋世界1993年12月号、中野隆義さんの第41期王座戦五番勝負第4局〔谷川浩司王将-羽生善治王座〕観戦記「天馬を射る矢」より。 「持将棋になるかもしれないな……。これは」と、立会の高柳敏夫名誉九段がつぶやいた。  途中図以下、羽生が△8五...
丸山忠久九段の結婚
将棋世界2005年7月号グラビア「ご結婚おめでとうございます」より。  丸山九段のお相手は山口県出身の村川浩子さん(22歳)。高校時代にミス日本フォトジェニックに輝き、青年誌のグラビアを飾った事もある。知人の紹介で知り合い、約1年の交際を経...
羽生善治六冠「あっ、あいています」、郷田真隆五段「行きます」
将棋世界1995年9月号、高林譲司さんの巻頭エッセイ「旅」より。  王位戦七番勝負が今年も始まった。過去十年、すべての王位戦対局に随行したものの、旅はしなかった。今年は旅をしてみようと思う。海を見た幼い日に戻ることはできないにしても、対局の...
村山聖五段(当時)「この4人のうち、一人でも居なかったら現在の僕は存在しなかっただろう」
将棋世界1988年5月号、村山聖五段(当時)の「昇級者喜びの声(C級2組→C級1組)」より。  (死んだ)……そう思った。  人の声も自分の声も遠い世界の声に聞こえた。  そしてそれから2、3週間は自分が何故生きているのか解らなかった。悲し...
志村けんさんと故・米長邦雄永世棋聖の対談
将棋世界2003年4月号、「米長邦雄永世棋聖円熟対談 ゲスト:志村けん」より。 米長 将棋がだいぶお好きなようですね。 志村 将棋は子どものころ覚えました。それ以来ずーっとやってなくて。ドリフターズの『8時だよ!全員集合』をやっているころ、...
谷川浩司名人(当時)「その日、連盟に着くまでの私は、正にルンルン気分であった」
将棋世界1984年8月号、谷川浩司名人(当時)の自戦記(第23期十段戦挑戦者決定リーグ 対加藤一二三九段戦)「見事に寄った一局」より。  その日、連盟に着くまでの私は、正にルンルン気分であった。もちろん、名人戦3連勝を含めて各棋戦好調で、将...
羽生善治三冠(当時)「やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符を手に入れることが出来た」
将棋世界1993年5月号、羽生善治三冠(当時)の「昇級者(B級1組→A級)喜びの声」より。 希望と不安  四段に昇段し、順位戦に参加するようになって7期になる。  やっと、とにかく、何とか、ようやく、どう表現して良いか解らないがA級への切符...
「将棋界に新しいスターが誕生した。郷田真隆、デビューしてわずか3年、C級2組四段の青年が、時の四冠王谷川浩司を向こうにまわし、押し切ってしまった。四段でのタイトル獲得は将棋界初のこと」
将棋世界1992年11月号、グラビア「郷田、四段で初のタイトル獲得」より。  1992年9月9日、午後5時44分、将棋界に新しいスターが誕生した。郷田真隆、デビューしてわずか3年、棋界で最低位のC級2組四段の青年が、時の四冠王谷川浩司を向こ...
杉本昌隆四段(当時)「ところでこれ何て書いてあるんだろ」
将棋マガジン1994年9月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。 ☆喫茶店 タマ「あ、将棋のテレビゲームがある!!やってみよ」 杉本四段「え、やるんですか?」 タマ「ウン、私、知らんかったかも知れんけど将棋初段やねん」 杉本「ウー...
羽生善治六冠(当時)婚約記事
将棋マガジン1995年10月号より、「羽生善治六冠王・畠田理恵さん婚約!!」より。  記者会見に羽生は、薄いブルーのダブルスーツを着て現れた。婚約記念品として、畠田さんから贈られたものだ。 「皆さんお察しの通り・・・・・・」と前日に婚約した...
先崎学六段(当時)「彼が死ぬと思うから俺は書くんだ」
将棋世界1998年10月号、先崎学六段(当時)の村山聖九段追悼文より。  今、僕は東北の温泉に居る。静養のためである。行く前に、三つ、誓を立てた。一、酒を飲まない。二、嫌なことを思い出さない。三、嫌なことに触れない。  そこへ、村山聖が死ん...
「息子いわく『プロになりてえ。棋力は羽生と谷川が合体して、しゃべりは先崎』だそうです」
将棋マガジン1993年2月号、読者の投稿欄「コマゴマ掲示板」より。  小学1年の息子は、将棋が大好き。私が働いているので、今年の春休みは、保育園卒園後の4月初めに預かってくれるところをさがさなければなりませんでした。苦肉の策で保育園代わりに...
村山聖六段(当時)「実力が足りませんでした。弱すぎます」
将棋世界1993年4月号、中野隆義さんの第42期王将戦第4局(谷川浩司王将-村山聖六段)観戦記「聖よ、もっと爪を伸ばせ」より。 「終盤は村山に聞け」という物言いが耳に入ってきたのは、村山がデビューして間もなくのことであった。関西将棋会館の棋...
ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…前編
将棋世界1994年5月号、河口俊彦六段(当時)の第52期A級順位戦プレーオフ〔谷川浩司王将-羽生善治棋聖〕観戦記「牙をむいた天才」より。  楽しみは尽きない、と書いて、『将棋マガジン』誌、A級順位戦最終戦の観戦記の結びとした。  考えてみる...
羽生善治棋王(当時)「長年の付き合いだから、分かるんです」
将棋マガジン1991年12月号、鈴木宏彦さんの第22回新人王戦決勝三番勝負第1局〔森下卓六段-森内俊之五段〕観戦記「力と力、ぶち当たる」より。  すごい将棋だった。山ほど見所のある将棋だった。最初にだらしなく弱音を吐いてしまうと、僕にはこの...
藤井猛四段(当時)の超難解「次の一手」
将棋マガジン1991年9月号、「あなたの棋力診断」より。第6問。 出題は藤井猛四段(当時)。読者正答率5%という超難問。 将棋マガジン1991年9月号(第6問) <ヒント>後手の狙いを看破する * * * * * 藤井猛四段(当時)が将棋マ...
永世名人の22歳
将棋マガジン1993年11月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳:森内俊之 おっとり型の勝負強さ」より。 五冠王と製粉業  羽生五冠王が誕生した。「3+1=4」「4+1=5」と、あたりまえのようにタイトルをふやした。22歳にして、将棋界の地図を7...
羽生善治棋王(当時)「このような恐ろしい変化がこの戦法には敷き詰められていて、そこがたまらない魅力なのです」
近代将棋1992年2月号、羽生善治棋王(当時)の勝ち抜き戦〔対 田丸昇八段〕自戦記「会心の一局」より。  今月は久しぶりに自戦記ということで<勝ち抜き戦>田丸昇八段との一局からです。  田丸八段は駒が全く後退しないという激しい攻め将棋。また...

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それでは皆様、よいお年を。